虐待によって歪んだ認知
児童虐待の定義
<身体的虐待>
児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること
<性的虐待>
児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること
<ネグレクト(養育の放棄・怠慢)>
児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他
の保護者としての監護を著しく怠ること。
<心理的虐待>
児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(姫姻の届け出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。
私はこの1年間、精神科病院で心理療法を受けてきた。
簡単に言えば、認知行動療法(CBT)に近しいものに取り組んでいる。
CBTでは、『環境』によって、自分の変化を
『認知』『気分・感情』『身体的反応』『行動』
と分割して整理し、拗れた思考パターンを修正していくという心理療法だ。
心理療法での会話で、私はいつも、ネガティブな発言をしていた。
それは、1年前だけでなく、今もそうだ。
様々なワークシートを使い、
2週間に1回、対面で心理士さんと1時間もお話をしている。
いつも私が言うことは、大抵同じである。
『父に暴力を振るわれたのは、全部私のせい。
私が悪い子だったから、父は叱ってくれだけ。
それなのに被害者面する私はなんて最低なの。
今両親が離婚して引っ越してきたのは、私のせいなのに。』
そういう思考になるのも仕方ないと、安全な環境で過ごせている今は思う。
父親に言われたこと。
『お前が悪い子だからだ』
『お前は迷惑なんだよ』
『お前のせいで今の環境があるんだ』
『これを虐待と言わないこと、離婚を盾にしてると言わないこと。それを守れば「今は」離婚しない』
『大学もバイトもサークルも全部辞めさせてやる。俺にはそれを出来る力がある。』
『お前が俺を愛さないなら、俺はお前を養う義務は無い。』
『裏切り者』
『お前は頭がおかしい』
『障害者』
暴力もあった。
殴る、蹴るは当たり前。
『死ね』と言いながら首をしめられたこともある。
性的な発言や行動をされたこともある。
と言っても、ただの電車内の痴漢レベルだが。
虐待と言うよりはDVに近いが、当時大学生の娘に、金銭の要求もしてきたことは数え切れない程ある。
私は大学2年生の時、父親に26万貸し、8万円渡した。
あくまで、当時は忙しい大学生だ。
そんな中でお金を取られてしまったのだから、掛け持ちでバイトをするしかなかった。週6日働いても足りず、夜職に手を出しかけたこともあった。
『父親の借金のせい』と思いたくても、言われる言葉は『お金を渡さないってことは、家族に協力しないということ。サイテーッ。』
こんな経験を20年かけてしてきて、正直病気にならない訳がないと思う。
私はそんなに強い人間ではない。
ビビりだし、一人で生きていく強さもない。
挑戦することが怖くて、家を出ていく決断をするまでに何年かかっただろうか。
それもこれも、本当は父親のせいにしたいはず。
なのにどうして、私は自己否定ばかりしてしまうのだろうか。
まぁでも、答えは『病気だから』という一言になってしまうのだけれど。
そんな中、やっと父親の元から離れて、安全な環境を手に入れた。
その新しい土地で通い始めた精神科病院で、入院中から心理療法を始めることになった。
心理士さんが、CBTに使う為の様々なワークシートを作成してくれて、1年間それに真面目に取り組んできた。
次の面談までの宿題は、毎回できるだけの努力をしてやった。
なんとしてでも病気を治さなければ。
そう思って必死に取り組んだ。
トラウマの話に触れると、解離してしまうこともしばしばあった。
それでも、『大丈夫、頑張れてるよ。』という励ましのお陰で、なんとか1年間続けることが出来た。
それなのに、私はいつまで経っても、ネガティブで自己否定する思考を捨てられない。
この1年、私は何も変われてないんじゃないか。
この先に回復できる未来があるのかとても不安だし、協力してくれてる主治医や担当の心理士さんには、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
その『申し訳ない』という感情すら、自己否定ということになってしまうのだろうか。分からない。
高校の時から当時の担任の先生に、口癖のように
『自分を認めなさい』
と言われてきた。
でも、本当に、その言葉の意味が分からなかった。
『自分を認める』って簡単に一言で言うけれど、私にはその言葉の意味を理解するのは少々難しすぎる。
でも今は、少し分かったのかな、とも思う。
自分に『頑張ったね』と言ってあげること、『私は悪くないよ』と許してあげること。
それだけでも十分、『自分を認める』ということになるのではないかと思う。
でも、本当に、心から認めてあげられるまでには、まだまだ月日はかかるのだろうな、と悲観している。
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