ふたつの顔を持つアバター農家|47キャラバン#2@熊本
熊本入り
大分のゴージャスな外車での出迎えから打って変わり、運転席が土埃にまみれたバンで登場した農家の片山和洋さんは「すみません、ベントレーじゃなくて」と、冗談半分に頭をかきながら車を降りた。やっぱり農家はこれだ。軽トラかバン。うん、やっぱりこっちの方が落ち着く。前日の大分での数億円規模の大規模農業と、稼ぎの象徴である高級車の一件をTwitterで見ていたようで、「そっちのカッコよさもあるけど、違うカッコよさもある」的な話をするので、「大丈夫、わかってる、いろんな農家がいていいし、農家のカッコよさも多様でいいんだよ」と、肩を叩いた。事実、この後、片山さんのカッコよさを十分に見せつけられることになる。
ふたつの顔を持つアバター農家
片山さんとリアルでちゃんと話をするのは今回が初めて。それまでは、オンライン通話やZOOM、テキストベースでの会話だった。そのときは、都会の匂いも少し漂うシャープでクールな印象だった。しかし生の片山さんは、人懐っこく、実に泥臭い人間的なひとだった。お互いに「リアルで得られる生の情報量はすごいよね」と妙に納得し合った。ネットで会話を重ねることで、片山さんがどういう思考の持ち主かを理解できても、どこまで信頼を置ける人間なのかは正直、図りかねていた。でも実際に会って昼飯を食いながらしゃべっていたら、この人は信用できるとすぐにわかった。ネットとリアルでは、得られる情報の質がまったく違う。頭で得る情報と体で得る情報の違いと言えばいいだろうか。頭は嘘をつくが、体は嘘をつかない。そして人間は生き物である以上、五感で感じられなければ、生きる実感を持つのは難しいとも改めて思う。
熊本県北区植木町で生まれ育ち、現在もこの地で農業を営む片山さんはネット上で「ハナウタカジツ」を名乗る。そして、ハナウタカジツはInstagramなどのSNSを駆使し、人間の本質をとらえた高度なファンベースマーケティングでお客さんを着実に増やしている。僕が知っている片山さんは、このハナウタカジツだった。しかしそれは外向けの顔であること知ることになる。内向きの顔、つまり地元では農協の青年部を束ねる片山和洋というもうひとつの顔があった。そのことを知ったとき、えーーーっ!って、その意外性に本当に驚いた。そんな情報は本人の口からも、ネットの情報からもまったく得られなかったからだ。そう、片山さんにはふたつの顔があったのだ。「遊動民としてのハナウタカジツ」と「定住民としての片山和洋」。自分の故郷を嬉しそうに自慢しながら案内してくれた片山さんは、僕が知らなかったもうひとりの片山さんであった。
Twitterがそうであるように、インターネットの中ではアバターのように複数の自分を持つことは今や当たり前である。固定した組織や土地に縛られずに、複数の働き方、あるいは複数のコミュニティに所属する生き方は、人間の自由度と幸福度を増す。固定した人間関係の中では、自分に対する評価も固定しており、新しい自分の可能性に気づくことは難しい。しかし、異質な世界との出会いは自己の世界を拡張するのみならず、自分の新たな可能性の扉をも開く。片山さんはハナウタカジツでその扉を開き、新たな才能を存分に発揮できる活躍の場を見つけたのだと思った。そして、ともすれば閉塞感を感じがちな田舎の固定した人間関係の中で、定住民として生きながらも、ハナウタカジツを通じて都会の人々とつながることで、精神的には遊動民としてあちこちを自由に飛び回っているのだ。
価格決定権を手放さない農業
定住民としての片山さんが僕に紹介したいと連れて行ってくれた観光農園「吉次園」カフェ。昔からのご近所さんで小中学校の後輩だという前田大全さんが、農作業の合間を縫って話を聞かせてくれた。イチゴやブドウを生産する吉次園では、直売所、ソフトクリームカフェ、フルーツ狩り、ネット直販など、すべて消費者とダイレクトにつながる商売を展開してきた。つまり、価格決定権はすべて農家の側にある。父親の代からそのようなスタイルを貫いてきた。「間を介さないからそれなりに儲かるし、何より消費者と直接触れられるのでやりがいがある」と語る大全さんは、まさにそれを体現する父親の背中を見て育ったからこそ、農家を継いだのであろう。
消費者と直接つながることだけでなく、つながり方も大事にしている。できるだけ丁寧につながること。だから、量を追うことに固執せず、質を重視している。以前、まとまったお客さん欲しさで激安バスツアーの受け入れをしたことがあった。ツアーは一日中朝から晩までびっしりスケジュールが詰まっているので、前の予定が伸びると、時間調整のために農園での滞在時間が1時間から30分に短縮されたことがあった。そうなると慌ただしいフルーツ狩りにならざるを得ない。自分たち農家とお客さんとの会話もないし、隣接する直売所で加工品などのお土産を買われることもなく帰られてしまう。一緒に農園を営む兄の正明さんは言う。「なんだか虚しいですよね。でも、マイカーの家族連れのお客さんはゆっくりフルーツ狩りを楽しんでくれるし、お土産も買ってくれるし、翌年もまた来てくれる」。
正明さんは「植木町は最高だ」と臆面もなく何度も繰り返し言った。こんなに自分の故郷を堂々と自慢する若者に会ったのはいつぶりだろう。植木町のスイカは日本一のブランド。果樹を中心に販売している地域の直売所は全国屈指の集客を誇る。農家は儲かっているので、後継者も多い。そして、車で30分のところには70万人都市の熊本という遊びに行ける都会もあって便利。では一体なぜ、地域ぐるみで儲かる農業ができているのか。正明さんは植木町の歴史からひも解いて解説してくれた。「親父の時代に農家が農協に改善を何度も求めたのに応じなかったので、みんなで農協を飛び出た。そして自分たちで売り出した。結果、農協の意識も変わった」。実はこの説明を聞くのはこの日、2度目だった。その6時間前、片山さんからも同じ内容を聞かされていたのだ。消費者と直接向き合う農業に農家たちが舵を切る。農協も追随する。子どもたちの代は親が切り開いてみせた歴史に誇りを持ち、さらに進化発展させていく。なんて素晴らしい好循環なんだろう。
私は汝であり、汝は私である。
片山さんの地元の道の駅で開催された「REIWA47キャラバン@熊本」。18時スタートでも、気温が下がらず汗ばむ。70分の講演でTシャツがびっしょりになった。ポケマルのサービス説明はネットで調べればあるので一切しない。人間と自然が離れ過ぎ、何が自然で何が不自然かわからなくなってしまった社会にあって、生産者と消費者がつながることの意味は、人間と自然がもう一度つながり、不自然な世の中を変えるためなんだというワンメッセージを伝える。その後、片山さんから生産者と消費者がつながる具体的事例を説明してもらおうと思っていたら、彼は僕以上に哲学的な話をしていた(笑)
何者でもハナウタカジツになれるし、ハナウタカジツは何者にでもなれる。例えば、ハナウタカジツの果物を使ったスイーツを東京のケーキ屋さんと共同で開発するとき、ハナウタカジツは東京のケーキ屋になった気分になる。東京のケーキ屋さんは「このケーキ美味しかったです!」とお客さんから言われれば、原料を提供してくれたハナウタカジツになった気分になれる。あるいは、ハナウタカジツの柑橘を使ったミカン風呂を東京の銭湯が始めると、ハナウタカジツは東京の銭湯になった気分になる。「いい香りがしました~」とお客さんから言われれば、銭湯もハナウタカジツになった気分になる。ケーキ屋さんも銭湯も、SNSでたまたまつながった見知らぬ他人。でも、お互いがお互いを必要とし、混ざり合い、ひとつのものを生み出したのである。
このエピソードを聞いたとき、僕は生物学者の福岡伸一先生の「動的平衡」を思い出した。細胞の内と外との「あいだ」には膜があるが、膜は外部でも内部でもない、そして絶えず流動している存在で、だからこそ外部は内部でもあり、内部は外部でもある。この「あいだ」にこそ、生きるが立ち現れるのだと。同じことを哲学者の西田幾多郎は、自然や生命を成立させる原理として、主と客、自と他、私と汝など、相互に対立すると思われているものを根底においてひとつと捉える「場所」があると表現した。汝は我に包まれつつ、我を包みこむ。となると、両者をふたつに分断する「壁」は消えてしまう。
REIWA47キャラバン熊本
だいぶ哲学的な話になってしまったので、具体的な参加者の声をアンケートも交えて紹介しよう。
・ネット販売は人のつながりが感じられない世界だと思っていた。実際にやってみたら違った。直接に会ってやりとりするような温かさがあった。
・クレームの方に真心で接したら、その方から真心がもらえて幸せな気分になった。
・初めて直販をやったとき、お客様からお金をいただくのに、「ありがとう」と言ってもらえてうれしかった。
・苦情からリピーターへ変化したとき、生産者と消費者のつながりを感じた。
・講演を聞いて、考え方が一変されました。父も高橋さんと同じようなことを言います。改めてがんばります。
・ずっと思っていたけどなかなか口に出せなかったことを高橋さんがズバリお話ししてくださり、進むべき道がはっきりした気がします。
・私が思っていたことがすべて高橋さんお口からお聞きでき、自分が考えていたことは自信を持って進んでいい道なのだと思いました。
・ポケマルの機能などについての話だと思っていたら、現代社会における矛盾のような部分を哲学的に思想・思考をぶつける講演で驚いた。
・田舎が抱えている不都合が、都会にとって必要なものであるという気づきがあった。この地に暮らしながら、この地に関係する都会の人間とのつながりを築きたい。
この夜、宿に戻って床に入り、寝る間際にTwitterを見たら、ハナウタカジツ十八番の殺し文句が目に飛び込んできた。
ここには、「ハナウタカジツは高橋博之で、高橋博之はハナウタカジツ」な世界観が広がっている(REIWA47キャラバン#1 大分 レポート「いよいよキャラバン本番」参照)。生産者は消費者であり、消費者は生産者。私はあなたであり、あなたは私。私は自然であり、自然は私。
この世界に、自分が食べる物も、自分が着る服も、自分が住む家も、ぜんぶ自分ひとりでつくっているなどという人はまずいないだろう。人間はひとりで生きていくことはできないのだ。誰かがつくってくれたもののお陰で暮らしが成り立っているのだから、私は誰かであり、誰かは私であるというお互い様の網の目の中で私たちは生かされていることになる。そのことを自覚できれば、世界の景色はずいぶんと違ったものに見えるのではないだろうか。
前回のレポートに引き続き、今回も長くなってしまった。キャラバンを始めたばかりなので幾分張り切っている。残り45都道府県。このテンションはどこまで続くだろうか。最後に、しつこいけれど、岩手沿岸縦断300キロからの「REIWA47キャラバン」をやる意味について。未読の方には是非一度お読みいただきたい。
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