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サウナという熱楽園

サウナにはいついかなる時でも入っていい。もちろん泥酔状態や体調が思わしくない時は避けるべきなのだが、基本的には身体がリフレッシュを欲した時がサウナの入り時だ。

サウナの入り方を記しておく。まず風呂場に到着したら全身をくまなく洗う。これは他のサウナ客へのマナーでもあるのだが、根源的にはサウナで至高の時を過ごすための儀式のようなものととらえるべきだ。神社に参拝する時には誰しも手を清め口をゆすぎ、神様に失礼のないように振る舞うのと同じように。

体を洗い終わったらいちど湯船につかり、ひと時物思いにふける。
温泉という出汁に茹でられ地球のスープになっている自分を想像しながら、浮かんではすぐ消えていく思考に思いを馳せる。
そうこうしているうちに体は温まり、下準備は完了だ。

よく体を拭き、サウナ室に入る。ひな壇形式になっている場合、体調によって高い温度にも耐えられそうなら上段、自信がなければ下段に座るとよい。場所を確保したら静かにじっと待つ。テレビの画面に見入るもよし、じっと目をつぶり瞑想するもよし。下準備のおかげもあって5~8分も経てばじんわりと汗ばんでくる。頃合いのいい所でサウナ室を出よう。

かけ湯をして汗を流す。そして水風呂に入る。突き刺すような冷たさに一瞬入るのを断念したくなる。清水の舞台から飛び降りるシーンを想像することができないが、ひと思いに入ってしまうことをお勧めする。肩まで浸かった瞬間に凍えるような冷たさに顔をしかめたくなるが、30秒ほどじっと我慢するとじんわりとした気持ちの良い温かさが全身を包む。これがサウナ用語で言う「天使の羽衣」である。雪山の山頂で食べるカップヌードル。冬の朝まだぬくもりが残るふとんに潜り込む二度寝の瞬間。言い表す表現には枚挙にいとまがない。たまに心無い客が水風呂に乱暴に進水し、起きた水流が天使の羽衣の効力をすべてかき消してしまう。ゾーマの凍てつく波動を実際に食らうとこんな感じか。もはや長居は無用だ。

水風呂を出たら椅子のあるスペースで休憩をする。灼熱の地獄と凍えつく寒さに耐えた自分を褒め称えながら、何も考えずにのんびりと過ごす。ここまでが1セットだ。

時間が無ければ1セットで終えてもよいが、サウナの真の魅力を感じたければ迷わず2セット目、3セット目に進もう。水分補給も忘れずに。

2セット目以降はきっと不思議な感覚を覚えるはずだ。1セット目よりもサウナ室の暑さがそれほどしんどく感じないし、水風呂の冷たさもなんてことはなくなる。今までの自分とは違い強く成長しているような気がする。

水風呂後の休憩中、成長実感とともに、その瞬間は訪れる。
血管が拡大と収縮を繰り返し、全身の血液が足先から頭のてっぺんまで駆け巡った結果、普段ではとても感じることのできない、恍惚とした、とにかく気持ちの良い状態が訪れる。(いわゆる「ととのう」状態)

身体中の細胞がさざ波のような音を立てて活気づき、どこか現世とはかけ離れたような、あらゆるものが充足し、調和と繁栄に満ちた心地よい幸福感に包まれていく。楽園とはこんなところなのだろうか。

今では毎週入るほどのサウナ好きだが、私は少し前まではサウナが苦手だった。思えばあの頃の私は、サウナ=熱くて苦しい、水風呂=冷たくてイヤ、と点でとらえていて、それぞれの苦しい部分しか見えていなかった。サウナや水風呂はそれ自体が目的ではなく、あくまで手段である。水風呂に入るためにサウナに入るのであり、ととのうために水風呂に入るのだ。

ととのう秘訣を会得することができた幸運や、身近なところに楽園がある恵まれた環境に感謝しつつ、世の中の人々が苦しみから解放され、より良い世界となることを祈りながら私は今日もサウナに入る。

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