期待しないことの素晴らしさ

ここ数日、怒りやイライラに対する見方が変わり、少し新鮮な気持ちになっている。

今週に入ってから発熱と下痢が始まった。丸2日治まらないので病院に行ったところ、大腸炎と診断された。抗生物質が必要なタイプの病気。道理でなかなか治らないはずだ。

そんな中で読んだ本の中に「怒りの裏には自分の期待や願望がある」というフレーズがあった。確かにそうだと思った。こうだったらいいなとか、こうあって欲しいとか、こうじゃなきゃいけないという気持ちがあって、それが叶えられない時に失望の気持ちが生まれ、失望の気持ちが怒りやイライラに変わるのだ。

期待 → 失望 → 怒り

この原則を意識して過ごしていたら、妻との会話の中でイラっとするシーンに遭遇した。いつもならその「イラっ」を解消するのに時間がかかるのだけれど、今回は、「あ、イラっとしてる。ってことは俺は妻に対して何か期待してて、叶えられないからイラっとしているんだ」とすぐに思った。確かに妻に対してこうあって欲しいという気持ちがあった。そして思った。

でもこの期待って、ありのままの相手を受け入れる、つまり尊敬とは対照的な思いなんじゃないの?

数ヶ月前に「お互いに対して期待するのはやめよう」と妻と話したことがある。その時は「なんて寂しい人間関係になってしまったんだろう、、」って思った。しかし期待するのをやめることによって、相手に対してイライラすることが少なくなるのなら良いことなんじゃないだろうか。実際、今回もかなり短い時間イラっとしただけで済んだ。

「相手に期待しない」ということは寂しい人間関係だと思っていたが、そうじゃなかった。むしろ尊敬しあう人間関係だったのだ

この一件もあり、これからは積極的に人に期待しないように心がけようと思っている。

期待しないってことは希望がない状態でも暗い状態でもない。むしろ怒りやイライラから自由になれる明るい状態なのだ。


※後記

この記事を書いた後、久しぶりに外出した。期待しないことを意識して歩いていたら驚くべきことが起きた。(今でもちょっと信じられないんだけど)今まで感じていた対人恐怖や嫌悪感が一掃してしまった

「○○であって欲しい」と思わないと「○○じゃなくても構わない」と思うようになるのだ。例えば、「優しくして欲しい」と思わなければ「優しくなくても構わない」って思うし、「静かにして欲しい」と思わなければ「静かじゃなくても構わない」と思うのだ。

むっつりした人もむっつりしてて構わないと思うし、怖い顔の人も怖い顔で構わない、騒ぐ子供たちも騒いでいて結構なことだとさえ思えた。あらゆることが楽に思える。肩の力が抜けた。

あまりに衝撃的過ぎて今は少し興奮状態なのだけど、明日以降も試してみようと思います。

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