【日記】イレギュラー事態への感謝
先週初め、手間のかかったイレギュラー事態がひと段落をついた。
そして本日、事後処理のようなものも終わった。
一ヶ月以上断続的に続くイレギュラー事態など、もはやイレギュラーと呼べるかも怪しい。
それはさておき、ひと段落したことは素直に喜びたいものだ。
さて、そんなイレギュラー事態にも、個人的に感謝したいことがある。
それは、世間の暗い話題から距離を置くことができたという点。
イレギュラー事態に追われて忙しい場合、最低限のニュースはチェックしても、暗い話題までいちいち気にする余裕などない。
結果的に、余計なところで暗い気分や不快な気分にならず、日々を淡々と過ごすことができた。
昨今の一部のニュースはとにかく暗く、くだらなく、見ていてこちらも気分が滅入る。
一方、イレギュラー事態に追われれば、ニュースを幅広くチェックする余裕はない。
特にネガティブなニュースなど見る気にもならないものだ。
それでいい。
暗い話題に感情移入する機会も、感情移入による変な疲労も、減る。
余裕の少ない日々は、
「必要最低限の情報しか頭に入れない、かつ、そこまで感情移入しない」
という状況を強制的に作り出してくれる。
余裕が減ると感性等が鈍る点は好ましくないが、わざわざ暗い話題を気にしないという状況はメリットも多い。
もちろん、イレギュラー事態は決して好ましいことではないだろう。
しかし、余計な情報を入れずにやるべきことを整理して集中する、そんな経験が多くできるのもイレギュラー事態ならではのことだ。
余裕が少ないからこそ、暗い話題・ニュースから自然と距離を置く。
そして自分のやるべきことを粛々と進める。
そんなスキルを、イレギュラー事態という逆境を利用して磨くことができるわけだ。
そう考えると、余裕が少ないというのもあながち悪いこととは言えない。
皮肉な話だが、余裕がある状況は良い面ばかりではない。
良い方向にも悪い方向にも転がる。
余裕がありすぎると、考えなくていいことまで考える、見なくていい暗い話題まで追ってしまう、など、デメリットもあるのだ。
その点、この一ヶ月以上は余裕が少なく、余計な話題を気にすることもなく、淡々と過ごした。
ある意味イレギュラー事態に感謝すべきとも言える。
あまり感謝とは言いたくないが。
もちろんイレギュラー事態を待ち望んでいるわけではない。
イレギュラーなどないほうが楽だろう。
しかし余裕がありすぎる日々もまた考えものだ。
この点は改めて感じさせられた。
皮肉だが、杓子定規にいかないのもまた人間心理なのだろう。
といった、それっぽいまとめ方で自己完結をする。
さて、私の好きな5月もそろそろ終わり。
夏来たるらし、の時期だ。
サツキも終わりかけ、衝動買いしたメロンソーダがやけに美味い。
そんな昨日の写真をインスタグラムより。
季節を感じ、不自然ではなく自然な形で何かを学び、過ごしていく。
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