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🗻9【隠者】THE HERMIT.

数年前に初めて訪れた「浜西神明神社」。
明石市魚住町にある、猫が遊ぶのに丁度良い大きさ。
とても、とても小さな神社だ。

4月8日(日) 桜が満開だ。

先日訪れた時は咲いていなかったが、最高の見頃に居合わせる事が出来た。
ヒヨドリやスズメが囀りながら花見にやって来る。

そんな桜の根元で座っていると、4人の家族連れがやって来てその内の一人が私に声を掛けた。
「お休みのところ申し訳ないですが、写真を撮りたいので…」

もちろん、私を撮りたい訳ではなくて「桜」と「娘さん達」を撮りたいのだ。
とても優しそうな父親に何だか申し訳ないくらいに恐縮されて、自分の庭みたいにのんびりしていた事に私は少々バツが悪くなった。

氏子さん達が大切にしている神社は美しい。

「折角の思い出なので4人一緒に写しましょうか?」と声を掛けるとちょっと遠慮がちに母親の方がスマホを私に手渡した。

この数年で無駄に向上したコミュニケーション能力をフル活用して家族をにっこりさせる事に全力を尽くす。

「はい、笑って〜。良い思い出になるよ〜」なんて具合に声を掛けながら、引きで2枚、ズームして2枚撮影する。気分は篠山紀信だ。

出かけ先で「記念撮影」を試みる人に「お節介カメラマン」をするのが私の習慣の一つだ。
「流行り病」の頃は「折角の思い出にマスクなんかしてたら勿体無いよ〜」なんて声を掛けながら、沢山のマスクをひっぺがして来たが、今はほとんどの人が「笑顔」を曝け出して生活している。

私にマスクをひっぺがされた人々は、当時の写真をどう見るだろうか?
「この写真コロナの頃のはずだけど何でマスク外してるのかな?」とか
「家族全員写ってるけど誰が撮ってくれたんだろう?」なんて話しているに違いない。

注射もしないし、マスクもしない。
それでいて「いつもヘラヘラ笑っていたヤツ」
そう言う奴が何人かはいないと「天照大御神」もいつまでも岩戸に隠れて出て来ないのだ。

「何か知らないけど楽しそうにしてるわね、外に出てみようかしら」ってな調子だ。

「天照大御神」が隠れていたから金環コロナが見れたのかも知れない。
と言う妄想を私はしている。

まだ岩戸隠れしている神々もいるが、まぁ個人の勝手なので好きにすれば良いさ。
でも、呼吸と同じくらいに「笑顔」を“見せる”のも“見る”のも大切だ。

和顔施わがんせには笑ってお返しが一番手っ取り早い。笑顔を貰うだけ貰って返さないと後でしっぺ返しが来る、たぶん。…知らんけど。


脱線したが、神社の桜の木の下で写真撮影した家族の話に戻ろう。

写真を撮ったついでに私は家族に話しかけた。
「もし良かったら“これ”貰ってくれませんか?」
と言って「私の描いた絵」のポストカードを手渡す。
「どこかに飾って眺めて、飽きたら切手貼って誰かに送ってね」と付け加えた。

自分の内側に「愛」を見付けた隠者。彼女は「未来」の方を向いている。

父親が言う。
「先日“キャッツ”を見に行って来たのですが、その時の猫みたい」と。

そこから少しずつ会話の糸口を掴む。

聞くに娘さん達は今年、小学校1年生と4年生との事。
妹さんはミュージカルが好きで、お姉ちゃんは絵を描くのが得意だ。
ご両親は二人ともそう言う趣味がある訳ではない。

子供が“必ず”両親に似ると言う訳ではなくて、やはり人それぞれに個性があるのだ。

私の絵を見て「どこかで習ったんですか?」と質問されたが、いつものように
「うんにゃ…自分で学んだ」と答えると少し驚かれた。
きっと二人の娘さん達も誰かに習わなくたって勝手に何でも“上手く”なって行くさ。

「今度この神社でお祭りがあってこの子達も参加するんです」と母親が言う。
どうやら祭りで太鼓を叩く役を仰せつかっているのだとか。

こう言う話が聞けたのも「気軽に声を掛けた」お陰だ。

ミュージカルが大好きで演者に憧れる眼鏡っ子な妹と
浮世絵みたいな孔雀の絵を上手に描く利発そうな姉。

きっとカワイイ二人の演舞に神さまも喜ぶに違いない。
「天照大御神様、写真を撮るよ。さぁ、わらって!」

小さな乙女たちのように咲く桜。咲う(わらう)と言うのも頷ける

9 【隠者】THE HERMIT.

「沈黙に徹する事」
世渡りの極意を尋ねられた
仙人がそう答えた

吾輩が言う
「答えた時点で沈黙を破っているじゃにゃいかニャ」

「悟り」について尋ねられ
 答えたならば
語った時点でその境地は
 空に帰して行く
まるで、雲か霞を掴むようだ

何も語らずだたじっと
 自分の内面に向き合う

闇の中でしか見つけられない
 光があることを知れば

苦(9)の終わりの後にやって来る
 プレゼントに気付けるだろう

過去と内側を見つめると未来と外側が望めるようになる。

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