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週5日で会社勤めは義務なのか?

 今、私は週3日で働いている。「えっ?週3日しか働いてないの?その間、何してるの?」と突っ込まれそうだが、私の労働の体力は週3日が限界なのだ。甘えている、社会を舐めていると思われても仕方が無い状況なのだが、本当に、本当に、これが命の限界なのだ。就活中は、正社員で週5日、会社勤めしなければ甘えた大人だと思っていた。労働しないヤツは生きる価値の無い人間だと思っていた。
 「誰の役にも立たなくたって、生きる価値はあるよ。あなたの身体は、神が住む聖なる神殿だから、自分で自分を殺すのはやめよう。神と自分をもっと大切にしよう」と、みんなが当たり前のようにそう思える、神と人間との関係が回復された、平和な社会が未来に到来することを今はただ祈っている。しかし、そんな未来は、まだまだ、ほど遠いように思えてならない。
 神を信じていても、いざ自分自身が役立たずになると、何も言えなくなるのが現実だ。聖書を開くことさえ、ままなら無くなる。神から遠ざかっていく自分がいる。悲しい。神を叫び求めても、生きることの苦しさは止まない。それが毎日毎日続くのだ。苦しくてベットに横たわっても手足が震えて、気味の悪い動悸が続く。心臓が苦しい。これが命かと思った。これが神かと思った。
 こんなに命が苦しいなら、捨ててしまった方がマシなのか。違う。違うと思いたい。神は「ある」というお方なのだから、私の苦しみを聞いていないはずは無い。今は聞いていないように思われても、神は必ず聞いている。私は今、どうやって死のうか考えて、その時の痛みや苦しみを具体的に想像し、自分を殺す悲しみに打ちひしがれ、頭が割れそうだ。でも、こんなことに時間を費やしているなら、私の命を苦しめている正体は一体何か考えよう。最後の力を振り絞って考えよう。
 セクシャリティをはじめ、私は精神的にも体力的にも、多くの困難さにより社会に適応することができない。でも、社会に適応したくても、できなくて、死にたい人は沢山いる。生きているのに、社会的に死んだことにされている人々が沢山いる。でも、もっとより良い社会に変えていくには、死んだことにされている人々の声を取り入れていくことが必要なのだ。聞こえない苦しみを、社会にもっと聞いてほしい。男性でも女性でも無いとか、週5で働くのは辛いとか、変に思われそうで誰にも言えない悩みとか、死にたいとか……。もっともっと、多くの人々の間で共有したい。苦しみが無かったことにされないために。私も自分の苦しみを誰かに聞いてもらいたいという思いで書いているし、多くの死にたい人の声を、私も聞きたいと思っている。
 日常の人間関係で言えないなら、インターネットが聞いてくれる。でも、私はインターネットを、ただの苦しみのゴミ捨て場にはしたく無い。私はインターネットの力を信じている。私はインターネットの力を現実世界に投影したいのだ。私が綴るnoteは私のデジタル上の墓場だ。実際に死んだ時の冷たい石の墓場、現実の墓場より、インターネットの海に沈むnoteの墓場の方が、私の良いところも悪いところもリアルに残してくれるだろう。だから私は、インターネットの海に沈む墓場から引き上げて欲しいと叫んでいる。同じように苦しむ死にたい人たちに、今、インターネットの海の底から手を伸ばしている。私も苦しい、だから手を握って助けてほしい、と。生き返らせてほしい、と。

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