人類滅亡へのカウントダウン ―ロシアによるウクライナ侵攻は時計の針を狂わせてしまうのか?

 力による実力行使の前では、外交・話し合いなんてまるで無力なもの―

 今回のロシアによる一方的なウクライナ侵攻、いや侵略はこのことを露わにしてしまった。あれほど、国際社会から自制(これもおかしな表現だが)を求められ、批判されている中での決行。世界の国々からしてみれば、まさかロシアがここまで話が通じない国であるとはとは思わなかったであろう。

 一方、ロシア、いやプーチン大統領にしてみれば、国際社会からの批判に晒され、なかなか思うように当初の野望を実行できないもどかしさでいっぱいだったことは容易に想像がつく。そうした中で彼は、虎視眈々とその機会をずっと伺い、様々な策略を巡らし、以下のようなことを計算していたのかもしれない。経済制裁はあっても軍事制裁まではなさそうなこと、その経済制裁にしても、資源が豊富なロシアから逆制裁をされて困るのは欧米側であることから、ロシアにとって致命的なレベルまでのことはされないであろうこと、そして経済制裁もいつかは終わりうるのに対し、領土の改変は既成事実として半永久的に残るであろうということ。あるいは、国内からの批判に対しても、情報操作等も交えながら大義名分を整え、愛国心に訴えかければなんとでもなるだろうこと、そしてなんだかんだ言いながらロシアにとってプラスの結果を持ち帰れば、一部の批判分子・反抗分子を除いて、クリミア併合の時と同様、国民のほとんどは支持するであろうこと……。

 実際のところ、彼がどこまで考え計算していたかは知るべくもないが、ロシアとウクライナの一体性を主張した論文等、長い時間と手間をかけておこなってきた彼の策略がついに実行にうつされた。国際社会からの武力による現状変更を諫める声・平和を求める声は、元KGBのスパイという冷徹さを求められる立場であった彼には、自国の利益のためには他国の犠牲を厭わない非情さを求められる独裁者という立場の彼には届かなかった、いや彼の悲願の野望を止めることはできなかった。

 時計の針は戻ってしまったのだろうか?
 仮に、世界の時計を平和へと進めた人物がゴルバチョフ元大統領だとするならば、プーチン大統領は世界の時計を混沌へと進めた人物として記憶されるのだろうか?あるいは、スターリンを超えた人物として歴史に刻まれるのだろうか?

 いずれにせよ、彼の行動は、二度の世界大戦への反省を踏まえた戦後の平和による国際秩序、法による支配を全く無視するものとなってしまった。いや、そもそもそんなのは幻想に過ぎなかったのだろうか?あくまで力による均衡がなされてきたにすぎない、結局世界はずっと力による支配がなされてきたきただけの話であって、平和だとか人権だとか民主主義だとか一見崇高に見えるような理念は、結局のところ、力のある者が力のない者を説得するだけの耳障りの良い言葉に過ぎなかったのか?しょせんは、弱肉強食がこの世の中の現実であって、耳障りの良い様々な理念は、弱者のルサンチマンを鎮めるために生み出され築き上げられてきたものに過ぎなかったのだろうか?少なくともプーチン彼自身にとっては、それらは国民を説得し己の野望を叶えるための方便に過ぎなかったのだろうか。

 問題は、今回のロシアによるウクライナ侵攻を契機としてこうした流れが止められなくなっていくことではないか。すなわち、自国の利益のためなら国際法を含めたあらゆるルールを無視し、力、それも武力によって他国の命を犠牲にすることも厭わない趨勢になっていくことである。協調どころか、共存でもない、強奪、ゼロサムの世界。ソビエト連邦崩壊や世界大戦以前まで時計の針を戻すどころか、まさにホッブズの言う「万人の万人に対する闘争」の世界にまで堕ちかねない。

 「馬鹿は死ぬまで直らない」
 人類は滅亡するしかないのだろうか。





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