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自分の気持ちに会いたくて

本を読むことで 自分の気持ちに出会うことがある。

心の中のかなりの奥底にある気持ち。
もう、忘れ去っていたと思っていた気持ち。
時には、自分でも気がついていなかった気持ち。

本の中の数行が、突然心にささってくる


家中のカーテンを

ママがいない夕方、わたしは家中のカーテンをしめ、電気をつける。
ときどき、げんかんやベランダのあたりでコトリと音がすると、心臓がドキンとして、なきそうな気持ちになる。  
「春の海、スナメリの浜」中山聖子 佼成出版 より
 → この本は以前記事にしました


たった3行のこの場面。

母が倒れ入院したため、1ヶ月ほど一人で暮らしていた時のことがよみがえった。

朝起きる。家中のカーテンと窓をあける。
出かける。窓を全部しめる。
帰ってくる。暗い中、カーテンをしめ電気をつける。

家の中に人の気配がない。
どこかで、もの音がするとびくっとする。

このお話の子は小学3年生。
それにひきかえ私は、いい年の大人。
母も、それほど深刻な病状ではなかった。

この子のように「なきそうな気持ち」になったわけではない。

「なったわけではない」と思っていたが、この3行が心にささり、あの時のことを思い出したということは、私は、かなり不安で心細かったのだと 今になって思う。


本の力

何かあった時、心の中にある気持ち。
口にも出さないので、それは「形にならないぽわーんとしたもの」にすぎず、いつしか心の奥底にしまわれてしまう。

でも、本の中の「あるフレーズ」に出会ったとたん、その時の情景・心がよみがえる。すると、その「ぽわーんとしたもの」が形になり、一気に色がつき、言語化され、「そうか私は、あの時 こんなふうに思ってたんだ。」と気づく。

「本を読む」ということは、こんなふうに「自分の気持ちに気づかせてくれる力」もあるんだなあ・・・・・


というようなことを思っていたら、この間読んだ本の中に、まさに私が思ったことをそのまま言葉にしてくれるような一節に出会った。

自分一人ではうまく言葉にならないことも、本を読むとそこに何かヒントを見つけたり、ピッタリ来る表現を見つけたりすることもできる (中略)

誰かと話をするように本を読めば、自分が抱えているモヤモヤした疑問やつかみ所のない気持ちが言葉になることもある。

「未来の自分に出会える古書店」
   齋藤 孝  文藝春秋 より



本を読むことが好きだ。

本の中の世界に入り込み、登場人物といっしょに冒険したり、どきどきしたり、ほっとしたり、しみじみしたり、爽快感をあじわったり・・・・・・。
こういう気分を味わいたいから、本を読むのはやめられない。

でも実は、本を読むことで、「自分の気持ちに会いたい」という願いもあるのかもしれない。

読んでいただき ありがとうございました。