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海の押し売り

元気の押し売りと言えばベッキーだが、海の押し売りと言えば俺のことだ
ベッキーは色々あって今は元気の押し売りを引っ込めたが、俺の売り方はベッキーより巧妙だ

ドライブをしていて海が見えたとする
隣には妻が乗っている
俺は、海です、と妻に伝える
妻は、わー海だ、と感動を示す
だがそれは最初のうちだけだ
何度か続くと、妻はスマホを見たり、寝てたりする
しかし、それにめげる俺ではない
俺は、カーナビの指示のように、海です、と繰り返す
すると妻は反抗を示すようになった
俺が、海です、と言っても、そのままスマホを見続けるのだ

ある日のこと、妻がスマホから目を離さないので再度、海です、と言うと、知ってます、と言って海を見ようとしない
しかしここで、君は何で海を見ようとしないんだ、などと聞いたりしたら負けである
こちらは、親切で教えてあげている、という体を崩してはならない
なので、俺はあくまでカーナビのような感情も抑揚もない声で、海です、と繰り返す
それに妻は、知っています、と答える
そんなチキンレースのようなやりとりが五往復くらいし、流石に海は見えなくなった車内にはシャーベッツの曲だけが響き渡った
勝負としては引き分けだが、俺はとりあえずは負けなかったことにホッとした

しかし、そんな安寧も束の間、また海が見えてきた
俺はめげずに、海です、と告げた
今度は妻は答えない
目を瞑って、寝ているアピールをしているようだ
しかし俺に迷いはない
海です、と繰り返す
海岸線に沿って走ってはいるが、走りながら海が見えるポイントは数カ所しかない
ここでやめたら海辺をドライブしている意味がない

しかし、妻は答えない
だが、絶対に眠ってはいない
ことさらに海を押し付ける俺に嫌気をさして、寝たふりを決め込もうと腹を括ったに違いない

そこで俺は作戦を変えた
緊急事態です。おならが出そうです
すると妻はシートから飛び起き、窓を開けた
俺は何事もなかったかのように、あれ、起きてたの、海だよ、と告げる
妻は、チッ、と舌打ちしてまた眠る
どうやらこの勝負、俺の勝ちのようだ

しばらく気分良く運転していると、また海が見えてきた
すると今度は、俺が、海です、という前に、妻が、海です、と言い出した
不意打ちを喰らった俺は、はい、知ってます、と抑揚のない声で答えたが、心の中は負けた悔しさでいっぱいだ
敵もさる者、さすが俺の妻だけあって侮れない

そんなわけで次の海が見えるポイントに近づくに連れて、二人の間に緊張感が漂った
次はどんな手を使ってくるのか
横目でこっそり確認すると、妻は前方をじっと見ていた
なるほど、さっきと同じ戦法か
ならば、と俺は、次のポイントの直前で、妻に話しかけた

ところでさぁ、最近どう?
この、どうにでも取れる曖昧な質問に妻が訝しがっている隙に
海です、と俺は言った
海は確かに見えている
俺の勝ちだ
妻は、卑怯者、と言わんばかりの目で俺を睨んでいたが、それを言葉にすることはできない
なぜなら俺は、親切で海を教えてあげているからだ

次のポイントに差し掛かると、妻は自分から話を始めた
それはさっき、俺が使った手だ
そんなことに俺が引っかかるわけがない
俺は妻の話を遮り、海です、と機械のように告げた
また俺の勝ち
力の差を見せつけたことで俺は満足し、海辺のドライブは続くのであった

お風呂入んなよ
風呂指示ジジイ

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