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肝心なものが売っていない

電波が圏外になる山奥の宿泊施設で4日間過ごしたのち、都心のオフィスに出勤した
午前中の会議を終え、いつものエスニック料理を食べた
いつもと変わらぬ美味しさだったが、しばらくして体がだるいと感じた

山奥で過ごした4日間、食事は毎食、違うメニューを食べた
宿泊施設の料理担当のスタッフは7人ほどいるのだが、1日の朝食と夕食のメニューを1人で考えることになっている
なので毎食違うメニューを食べられるのだ
そして、どの食事も考え抜かれたマクロビオティック料理だった

その宿泊施設の料理のすごいところは、食べ終わった瞬間にお腹が空くことだ
量は十分にある
しかし食べている最中に胃腸の調子が良くなるので、食べ終わる頃には胃が嬉しさで武者震いしてくるのだ
そんなわけで毎食後、自分で持ってきた砂糖が使われていないチョコレートを食べて胃を宥めた
そうしなければ無限に食べてしまいたくなる

滞在中、夕食後はすることがない
山奥で、11月を過ぎるとかなり寒い
暖房はあるが、寝るときは湯たんぽが必要だ
雨が雪に変わった最終日は特に寒く、湯たんぽを足と腰の両側に2個ずつ置いてベッドで横になっていると、午後7時前に眠ってしまった
朝起きると散歩に出かけるのだが、宿泊施設の前には道路が一本あるだけだ
上るか、下るか
選択肢は2つだけ
そんな生活が4日間続いた

オフィスがある都心にはたくさんの道がある
その道をたくさんの高級車が通り過ぎ、道路沿いに立ち並ぶビルの中にたくさんの飲食店がある
その中からエスニック料理店を選ぶのは、店主の人柄が素晴らしく、同じメニューを出しているが常に改良されているからだ
料理は今日も美味しかった
だが店を出てしばらくすると、今まで感じたことがない体のだるさがあった

体が変わってしまったのだ
そう思って街を見渡すと、店は無数にあるのに肝心なものが売っていないことに気がついた
最も肝心なもの
それは身体のことを考えた食事である
これ以上に大切なものはないはずだ
しかし、その最も大切なものが、最も蔑ろにされている

コインパーキングに白のフェラーリ488が駐められていた
高級ホテルのエントランスには黒のマセラッティや濃紺のフェラーリが停まっていた
ベンツやポルシェは当たり前で、アウディだと物足りなく感じる
高級ホテルに隣接された商業施設には、ハイブランドの洋服、家具、雑貨が取り揃えてある
あらゆるものが無数にあるように思えるのに、身体のことを考えた食事を提供する店はない
要らないものは無数にあるのに、必要なものだけがない

山奥で過ごした4日間は側から見たら不自由な生活だ
宿泊施設の前には道路が一本あるだけで、上るか下るかしかない
寒いのでまずは上った
車道だが車は滅多に来ない
2キロほど上ると川がある
途中にはキャンプ場もないので、全く汚されていない水が流れてくる
河辺の石にレジャーシートを敷き、その上に座り瞑想する
そして2キロ歩いて戻ってくる
必要な道具はレジャーシートだけ
それでとても豊かな気持ちになれた

宿泊施設に戻ると朝食の前に風呂に入る
源泉掛け流しの温泉だ
温泉で体を温め、いよいよ朝食だ
朝食の最中に、その食事を作ったスタッフが料理の説明をしてくれる

おそらくスタッフの一人一人は自らの身体に関してかつてトラブルを抱えた人間と思われる
自分の身体を何とかしようと試行錯誤を繰り返した結果、食に行き着いた人たちだろう
みな30代前後の女性で、食事の支度の合間には自家農園の手入れもしている
自分自身が信じられる食事をゲストにも提供する
そのシンプルな志を信念を持って実践している

安心できる素材を使うのは当然だが、その味を引き出すことができるかどうかは料理する人の発想にかかっている
素材をどう定義し、どう料理するかの基本は五行説に基づいている

五行説とは、万物は火、水、木、金、土の5種類の元素からなり、お互いに影響を与え合い循環する、という考え方だ
その影響とは、相手を生み出していく関係もあれば、相手を打ち消していく関係もある、ということ
相手を生み出していく関係であっても、過剰だと悪い面を引き出す、ということ
同じ性質のものが重なれば、その性質が強くなる、ということ

どの料理も絶妙なバランスの上に成り立っていた
何を選ぶかは重要だが、何をどれくらい使うかはさらに重要なのだ
スープや味噌汁という繊細な料理ほど、バランスの絶妙さを感じた
何かがちょっとでも多かったり少なかったりしたら引き出すことができない感動がそこにあった
どの料理も一つの作品だった
製品ではない
利益を出す、という経済効率を優先したら、最も安く入る食材を多用し、最も手間のかからない調理法を使うことになるが、そこでは経済効率は完全に度外視されていた

経済効率が完全に度外視されている世界というのは、ある意味、宇宙空間のようなものだ
地上にいると万物は重力の影響を受けるように、人と人が関わる世界において、経済効率の影響から無縁のものはほぼ存在しない

しかしその宿泊施設で出される料理は完全に経済効率を無視している
素材の価格だけなら実は大差はない
肝心なのは料理にかける手間である
同じものを毎日出せば、全ての工程は効率化されるが、そこでは毎食違うメニューが作品と呼べるレベルで出されている

とても地上の世界の出来事とは思えない
家庭であっても実現不可能だ
料理が上手な母親がいたとしても、母親は一家に1人
メニューのバリエーションは限られる
だがそこには食に対する信念を持った人たちが7人いて、お互い切磋琢磨しながら、毎回、芸術作品のような料理を提供してくれる

だが、これこそ最も基本的なやるべきことではなかろうか?
自分の体の中に入れるものに最大限の関心を払い、最大限のエネルギーをかける
とても当たり前のことだ
それなのに、今の世界はこういうことが全くできない仕組みになっている
一体、なぜか?

結局、他人のために働かされているのだ
効率だけを追求した食べ物を身体にいれ、死なない程度に健康を害し、時間を惜しんで働く
それによって得た金で何を買うのか?
ポルシェだろうか?
それに何の意味があるのか?
ハンドルを握る手にロレックスがはめられているとして、それが何をもたらすというのか?

何に金と時間を使うかは、その人の自由である
だが、その人が自由と思っている自由とは、どの程度の自由だろうか?
経済効率が度外視された宿泊施設で過ごした4日間で、私はこれまで感じたことのない自由を感じた
それは4日間だけ与えられた自由だったが、その自由を自分のものにするためには何をすればいいのか?
自分で作るしかない
自分の身を守るとはそういうこと
ポルシェなどに乗っている暇はない


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