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学びへの覚悟 (論語)

こんばんは📚

実に、10日ぶりの投稿になります。

宣言した通り、この間、受験勉強に注力していました。本日試験が終わりましたので、noteの投稿を再開したいと思います。

気をとり直して再開第一回目は論語より、孔子が生涯を捧げた「学び」への覚悟についての言葉をご紹介します。

あしたに道を聞けば、夕べに死すとも可なり。
論語 里仁篇

(意味)

 学問を究めて、ある朝に「道」を知ることができたならば、夕方に死んでも構わない。(人の道を全うしたのだから。)

学びとは、生きる意味である

 孔子の言いたかったことは要するに、人が人たる「道」を体得することそれが即ち生きる目標であり、意味づけなのだ、ということなのだと思います。

 現代でいう細分化された学問分野というよりは、ここで学びとは広く道徳を指しています。
 みなさんは何かを達成したら死んでも構わない、と言えることはありますか?私はそこまでの覚悟はありません。
 しかしながら、人の道を極める、ということは多分生涯を通じて挑み続けるテーマなのだろうと思います。

学び続ける

 私が今回この言葉を選定したのは、今回の社会人大学院への入試を通じて学問への意欲が再び湧き上がってきたからです。

 孔子の求める「道」とまではいきませんが、社会人になってそろそろ20年、折り返し地点にあります。

 20年も経てば学生時代に学んだことの多くは今でも役立ちますが、陳腐化したものも多く、さらに組織の中での役割の変化において自分が獲得すべき学問領域も変化しています。そりゃあ20年もいたらそうなりますよね。単一の学問領域では世の中の課題を解決することが困難であることも明らかです。

 そんな考えもあり、思い切って大学院への進学を志しました。試験結果はまだ先ですが、勉強する中で、あらためて自分と自分の仕事を見つめ直し、進べき道も考えることができ、大変貴重な時間でした。

ではまた!

 

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