日本社会を悩ませているもの ②同調圧力
どうも、瀬高です。
前回は、「先輩絶対主義」に関する問題点を
解説しました。
今回は、
「同調圧力」
の問題点や厄介な要素を
述べていきたいと思います。
はじめに、同調圧力とは...(以下wikiより)
ある特定のピアグループにおいて意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に合わさせることを指す。
特に、暗黙のうちに
という点に注目してみてください。
日本社会では、この同調圧力が
非常に起こりやすい
と思います。
例えば、学校における
「集団いじめ」もその1つで、世界でもいじめはあるが、集団いじめは日本特有という意見もあります。
・クラスの中で誰かが「あいつをクラスから、除け者にするぞ」などと大勢の前で言い、
皆が暗黙のうちにそうせざるを得ない空気を
作り出す。
・あるいは、「いじめられている子には関わらない方が良い」という空気が自然にできる。
こうして、
いじめられている子が孤立してしまう。
実際、私が中学生の頃にもクラスで前者のような形式の集団いじめがありました・・・
(数ヶ月後には多少改善されたとはいえ)
職場など、大人の世界でも
「あいつはちょっと変わっているから関わらないでおこう」とか「あいつは自分たちと○○が違うから関わらない方がよい」
などの些細な理由で、
周りの人から距離を置かれてしまう
という事態が起きてしまうことがあるでしょう。
歴史上における、
ハンセン病患者の隔離や原発事故が起きた地域の出身者における差別や偏見もそうした、
同調圧力が関係しているのでしょう。
このように、
多数派or少数派、みんなvs個人
といった状況が生まれ、多数派は少数派を
「敵」にし、排除・迫害しようとする。
そのため、
日本では「みんなちがう」という当たり前の環境が、培われづらい傾向にあります。
それにもかかわらず、
小学生の頃に「みんな違ってみんないい」と
教えられたことがありますが、
中学・高校・ましてや大人の世界に来てもこうした状況が存在しているのを実感すると、
「もはやあの言葉は何だったのか」
と不思議に思います。(もちろん悪い意味でです)
読者の皆様にも、同じような疑問を持った方はいらっしゃいますか?
なぜ日本にはこうした、
同調圧力が起こりやすいのでしょうか?
今回は2つの資料を取り上げることにします。
1つ目は、
「日経doors」の2017/6/16の記事
『一人ぼっちでも大丈夫? 「友達ゼロ」の人の結末』2ページ目より、
諸富祥彦氏によると、
最大の理由は、多くの人が小学校高学年から中学校にかけて体験する集団生活にあると、私は考えています。あの時代、クラスの中はいくつかの“排他的集団”に分かれ、子供たちはいずれかの組織に属さなければ平和な学校生活を送れません。
と述べられています。
安定して「集団」に属するためには、
周囲と同じ価値観を持つことが欠かせません。
周りから除け者にされないために、
自分の立場を守りたい
という意識が働いているのでしょう。
2つ目は以前の記事でも取り上げた、
雨宮紫苑 「日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち」によると、
日本は「和」を重視するので、対立をとにかく避ける。対立したくないといのは、日本人の本能のようなものなのかもしれない。
と述べられている。
私もこの考えに共感します。
私としては、
対立したくないという気持ちを持つことは、
良いことだと思います。
しかしそれゆえ、
集団のために自己を犠牲にすることが、
ごく自然に強制されること
は非常に残念です。
同調圧力の強さは、
自己犠牲の増加や
物事を自分で判断することを放棄してしまう
といった問題があると思います。
それが、
会社の妙なルールについて、誰も指摘せず、
社員が快適に働ける環境を作るのを
妨害してしまう。
国のとある政策に関して、
メディアやSNSで1つの意見が述べられた時に、何も考えず、メディアやSNSの主張が
正しいと思い込んでしまう(メディアによる洗脳)
といったことに繋がると思います・・・
参考: 同調圧力-Wikipedia
「日経doors」の2017/6/16の記事
『一人ぼっちでも大丈夫? 「友達ゼロ」の人の結末』
https://doors.nikkei.com/atcl/wol/column/15/112800113/060100007/?P=2
雨宮紫苑 「日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち」p176,178,180
それでは、また次回!
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