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最近思うこと(介護から離れて)

2017年。介護から離れて4年経つ。介護の期間は、振り返ってみれば、濃密な時間だった。父や母と一緒にいるだけで、大事な時間だったように思える。

今日はひさしぶりに介護から離れたときのことを書こうと思って、パソコンに向かった。その期間は、大事な時間だった。父母を亡くした後も、忙しい日々が続いたから、いまになってやっと振り返って昔となった、その期間を見ることが出来たと言う感じです。両親ふたりを亡くしたあと、親戚付き合いのある岩手の地に何度か訪れることになり、母と父の大きさを知らされ、何度も振り返る日々でした。

そして「いま」やっと、これから、これからどうしようかと思ったのです。

これから仕事をしようと思ったのですが、年齢が還暦をそう遠くない位置を前にして、見つかるはずもなく、ましてや時代は新型コロナウィルスの蔓延により、なおさら見つかるはずもなく。そして自分の体力の無さも感じ、財力も無く、持っている貯金を切り崩して、細々と生きて行くしかなかった。そんな中で、質素に生きていこうと思いながらも、ウチに楽しみを見つけるように生活をシフトする自分がいたのです。

わたしにはハンデがありました。統合失調症を患っていました。精神障害者2級と言うハンデです。前職は生命保険会社に障害者枠で入社していました。介護しながらですが、7年勤めていました。勤め始めは父も母も元気でした。母のアルツハイマーは静かに進行していたけど。介護が本格化してくるにつれ、勤務状態が安定できず、会社側から退職するよう勧告を受けました。外向きは上司の殆どが、異動でいなくなるので、長期休暇の後の復帰をするお膳立てができないと言う理由でした。だからもう働けないと言うことはだいぶ覚悟しました。

これが大企業が与えたわたしへの試練でした。生命保険なんて言うものを売りながら、結局は弱者であるわたしへの最大の仕打ちだったのです。在職中もだいぶ派遣で来ているベテランのパート社員からはいじめられました。それでも折れずに頑張っていたのに。、、、、と自分で言ってしまいますが。

退職したいまはコロナ禍となり、一時は旅行をしたり、趣味になっている写真を撮ったりしていたのですが、それもできなくなり、少しずつ家での生活にシフトされました。現在は質素に生活をしています。先日なにを思ったか、夏野菜の苗木を3本購入し、これが始まりで、プランタを買ったり、土や肥料を買ったり、と余分な費用を払うことになり、現在植物の成長をベランダで眺めながら、過ごしています。

音楽を聴き、昔買った画集を眺め、近所の公園で撮影をし、こんな風にたまにアウトプットをする。そして夏野菜を育て、たまに友達とあって、ちょっと話をする。そんな中で日常を感じ、「生きてく」と言う実感をしている。普通の生活である。たぶん仕事を失ったこと以外は。

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