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素敵な靴は、素敵な場所へ連れて行ってくれる。 43

 地下鉄から、JRに乗り換えて帰路に就く、満員の電車から、押し出されるように降りると、深夜近くでも、またまだ人の流れは途絶えない、駅の中は昼間のそれと同じように、纏わりつくような蒸し暑さが全身を包む。
 その暑さに、辟易しながらも、歩きながら、有美はもう一度あの絵の事を思い出していた。
 
 どうして、大津には絵を見ていただけの自分が、そんなにも「神々しく」みえたのだろう、いままでの大津の自分への接し方や、南村が言いかけて止めた、あの言葉の先・・・
 少し混乱するくらい、今夜はいろいろな思いが頭の中を逡巡していく。もっと聞けばよかったと少し後悔の気持ちもわいてくる。
 

 カギを取り出して、部屋のドアを開けると、明かりがついていて、心地よい冷風が流れてくる、それをみて拓海がもう帰っているんだとわかる。
 小声で、小さく「ただいま」というと、相変わらず脱ぎっぱなしの拓海の靴をそろえてから自分の靴を脱いだ。
 すると、たぶん今までベッドで寝ていたのであろう拓海が、有美が靴を脱ぐ間もなくこちらへやってきて、
「・・・獲れたんだよ、k賞が・・・・・夕方、受賞の連絡があったんだ。」
 靴を直している、有美に向かって小さくそう呟く、
「えっ? なに?」
 小さな靴箱に二人分の靴を仕舞いながら、有美は拓海に少し驚いたように、そう返事した。
 靴を仕舞い終えて、その時有美は初めて拓海の方を見た、少し頬が紅潮して、破顔しているからの姿がそこにはあった。
 有美の両肩をつかむと、嬉しそうに、
「やったんだよ!・・・ついに獲れたんだよ・・・」
そう叫ぶように、有美の目を見つめて、両手で彼女の体を揺らす。有美は拓海のいつとない興奮に少し圧倒されながら、
「それは、よかったね・・・おめでとう・・・」
そう言うのが精一杯だった、せつかれてキッチンまでいき、鞄をテーブルに置くと、
「あんまり、よろこんでくれてないみたいだね・・・」と、拓海が少し声を落として有美へそう言った。
「そ、そんなことないよ、なんか、すごい賞みたいだし、これでやっと今までやってきたことが、やっと報われるんだし・・・」
 慌てるように、有美はそう返事をした。
 確か以前、拓海にこの賞のことを言われたとき、後で、ネットで調べておくと言った記憶が蘇る、けど、実際は未だにしらべてはいなかった、忘れていたわけではないが、一人で拓海の芝居を見に行って以来、なぜかしらそれ以上に興味のあることではなくなっていた。
慌てるように、取り繕ったものの、あれほど喜んでいる拓海には少し悪い気がした。
「これで、なんとか劇団も軌道に乗るし、他のところからも作品の依頼もあるだろうし・・・」
拓海は、何かしら自信にあふれたような眼をして、着替えている有美へと話しかける、有美は、着替えながら、少し顔を傾けて拓海の方を見る。
少し顔を紅潮させて語っている彼の眼が、一緒に暮らし始めたころの輝きを取り戻しているように感じた。
動物が獲物を射るような、あの奥深い一種の獰猛さを感じ取れるような輝き、そうだった私が好きになったのはこれだったのだと、心の中で有美は懐かしをこめた記憶をよみがえらせた。
けれども、今はそれがどうでもよくなった自分がそこにいる、あれほど好きだったのに、あれほど憧憬を感じたのに、心の中の全てをそれが独占していたのに、けれど今の自分の中には、その片鱗さも残っていないことに、今夜有美は改めて気づいた。
着替え終わって、有美がシャワーを浴びようと浴室へ行ことしたとき、拓海が唐突に
「授賞式が来月あるんだよ・・・一緒に出てくれるよね・・・?」
ゆっくりと有美へ小さな声でそう訊ねた、有美は少し驚くように拓海の方を見て、彼が言わんとする意味を理解しようとした。
「・・・それって、私へのプロポーズなの?」
そう有美が返事すると、拓海は何も言わず、有美の眼を見つめたまま、立っているだけだった。暫くお互いに沈黙の後、有美はそのまま、拓海を見ることなく、何も言わずに浴室へ入った。
その夜、拓海は有美を抱いた。
 拓海に愛されている間も、二人はずっと無言だった、いつもなら少しは言葉を交わすこともあるのだけれど、拓海は一言も言葉を発せずに、有美を愛した。
 暗闇の中で、有美は彼の吐息も、彼の愛撫もいつもと何か違うような気がして、少し怖いような気がした。拓海が有美を愛撫している最中、有美は思わず手を伸ばして、拓海の頬を撫でるように、彼の顔の輪郭を確かめた。堀の深い彼の顔の造形が、有美の手の感触を通じて伝わってくる、そうして、はじめて暗闇の先の人物が拓海だと感じることができた。
 
 全てが終わった時、拓海が有美を後ろか抱きしめるようにして横になった、汗ばんだ拓海の胸が有美の背中に吸い付くように触れる。
「一緒に来てくれるよね・・・」
拓海は、強く有美を抱きしめながら、耳元でそう囁いた。
有美は、何か久しぶりに聞いた拓海の声のような気がした、さっきまですぐ横で話していたのに、なぜかしら懐かしいような気さえした。
けれど、彼の問いに何も返事をしなかった、彼のその言葉は、嬉しかった、けど同時に悲しくもあった。どうして私の問いに答えてくれなったのだろう、あの時「それってプロポーズ」と聞いた有美に、イエスでもノーでもいいから答えてくれなかったのだろう。
有美は、彼の腕を振りほどくようにして、シーツを被り拓海に背を向けたまま何も言わないで寝入ろうとした、強く眼を閉じないと少し涙が出そうになったけれど、強く閉じた瞼の奥に、ふとあの女神が映ったような気がした。
拓海はもうそれ以上、何も言ってはこなかったし、有美を抱きしめることもなかった。エアコンの音だけが静かに部屋に響いているだけだった。


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今宵も最後までお読みいただきありがとうございました。

少し長くなりましたので、次回またこれまでのあらすじを

入れます。

ありがとうございました。

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