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詩小説『引越物語』㊴最終話〜家族という名のハーモニカ



『引越物語』のマガジンはこちらです。(全話対応マガジンですから沢山の登場人物がいるように見えますが、殆どのお話が2、3人で進行します。また詩の形式をとった独白も多い小説です。)
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こちらが前回のお話です。



やっとこさ詩小説『引越物語』最終話です。




「荷物、着いたんだって。」
明るく振る舞う未希の声に、電話越しでもアドレナリンを感じた。

「そうなんや。高知からジェノヴァって3週間くらいかかるんやね。」

取り込み忘れた七夕飾りが、生温かい風に包まれカサカサと鳴っている。

黒い雲が広がる空を見上げた凪は、麻美とマリオそして誕生する子どもの未来を想像していた。

「みーちゃん、ひょっとしてジェノヴァに行きたかったんやない。」

電話しながらも、厨房でテキパキと指示を出している未希。親友とはいえ酷な質問だっただろうか。

「うーん…。旅行と生活は違うから。ジェノヴァへ行ったら最後、ここで一緒に暮らそうって言ってたと思うよ彼なら。」

未希は、高知に根を張って生きてきた。マリオがジェノヴァに還るのは自然なことだと、自分と重ね合わせ理解しているようだった。

「私は客商売が好きだし、高知から離れるなんて考えられないもの。カフェもオープンしたばかりだしね。」

カラカラと笑う未希は、土佐の女。はちきんそのもの。

「新作ハンバーグを食べに今夜みんなで来てよ!」

後方でカチャカチャと食器が動く音が聞こえる。

食べたいな
グウグウ鳴るのは
カエルの子

マリオ目線で詠んだ俳句。ジェノヴァのおふくろの味が忘れられず帰りたいとグウグウ喉を鳴らしているカエルになった。こんなこと未希には言えないな。

「わかった。なっちゃん夫婦も誘ってみるね。」

「うん。ぜひぜひ。人数わかったらLINEして。なっちゃん夫婦が来るんならプラス5人前だね。」

「じゃ、後ほど。」

締切が迫ってるのにラストシーンが浮かばないな…。未希に相談してみるか。

それにしても、ほんとに『ろくでなし』という名前にするなんて。バーとかスナックならわかるけど。ま、『ファリート』って音の響きは素敵だから大正解なんだろうな。未希のネーミングセンスが私にも欲しい!!私だったら『ファーレ』あたりにするだろうな無難に。

「もしもし。なっちゃん、ご無沙汰。もう晩ご飯のメニュー決めたかな。」

「昨日から、お義父さんお義母さんが旅行でおらんき、今夜はなか卯にするが。たっちゃんが、こうてきてくれるって。えいろー。」

おっとりした菜摘の声に、凪は懐かしさでいっぱいになった。菜摘の声は、小さなハープのように人をおだやかにしてくれる。

「あーそれなら、龍雄さんも一緒にカフェ・ファリートへ行こうよ。ハンバーグ食べさせてくれるって。その代わり、お高いコーヒーは飲んで帰れって。」

「なっちゃんも、千円以上するコーヒーは高知じゃ無理って思うたがよね。ちゃっかりしちゅうね、未希ちゃんも。」

「おぉー。なっちゃんも毒を吐くようになって。おばちゃんらしゅうなってきた。」
からかう凪の笑い声に、帰宅した夫の正雄がニヤニヤしている。

「なっちゃんやろ。変わって。久しぶりやき。俺も話したい。」

スピーカーにして3人で会話すると、兄妹の土佐弁が賑やかに交わされた。

「どうせ、俺の悪口でも言いよったがやろ。」

「お兄ちゃん、相変わらず決めつけ激しいね。話題になってないき。」

「旦那のことで頭がいっぱい胸いっぱいかよ。仲えいがや。」

「お兄ちゃんと一緒にせんちょって。ちゃんと夫婦の会話しゆうき。」

「ちょっとー、なっちゃん。それって私の悪口やん。」

アハハの笑い声が壁や天井にこだまする。このマンションとも、もうすぐさようならだ。

「こんな電話で話さいでも、後でゆっくりカフェなんちゃらで話そう。もう切るで。」

「また、お兄ちゃん1人いられて…。ツーツーツー。」

いきなり切るのは正雄の悪い癖だ。だが、菜摘も凪も慣れっこだった。

シャワーを浴び義母の浴衣に着替えた凪に、正雄が思い出したのは…。

家族みんなで出かけた最後の夏。

色褪せた浴衣に、まだ若く美しかった母親の浴衣姿が蘇る。

「懐かしいにゃぁ。おかあ捨てちゃぁせんかったがや。」


ーありがとう着てくれてー



柔らかい声が聞こえて、思わず凪と正雄は微笑みあった。








あとがき

初めて挑戦した小説は、主人公が存在せず、語りもクルクルと変わりました。

これでは読者になってくださった方々が読みにくいではないかと思い、都度直そうと努めました。

ところが、きちんと筋道だった文章にまとめようとすると、書きたいという衝動が途端に消えてしまいます。

メモ書きのまま、いったんnoteに放流し泳がせることに決めました。恥もかくだろうし、批判も受けるかもしれないと思いながら。

学生時代から塾や家庭教師をしてきて、子どもたちから作文や論文の発表がいかにプレッシャーかさんざん聞かされてきました。

私の文章はご覧のように下手ですが、学校内で発表する分にはたいして抵抗がありませんでした。大人になってからは更に図々しくなり、そうした子どもたちの気持ちを察して寄り添う気持ちが薄れ、苦しみや悩みを想像できなくなっていました。

この詩小説を書いてみて、安易に「大丈夫。書いてみたら。」と言ってきた愚かさに気づき、他人に見せる行為の大きな負担に驚いています。言葉に責任を負わなくていいかのように、子どもたちに「気軽に書いてみましょう。」などと平気で口にしていたことにゾッとします。

唯一、私の小説に個性を見いだすとするなら、登場人物による詩(独白)がある点でしょう。

小説を書く術を持ち合わせていないことから、語り尽くせないものを得意な詩に託しました。リズムをつけると、私の筆は走ります。

最終話を書いているうちに、これは『小説』とはいえないのだから『詩小説』というものにしようと決めました。

ところどころ詩を挟んだ小説は過去に沢山あります。私の詩小説では、ミュージカル映画のようなものを目指しました。できるだけ詩に、登場人物の心情や状況を映し出したつもりです。

既に同じことをして、同じ名付けをしている先駆者のかたがいるかもしれません。ゆっくり探してみたいと思います。

末筆となりましたが、この物語にお付き合いくださった皆様に心から感謝申し上げます。noteのコメント欄を通じて、沢山の温情あふれた方々に触れたこの数ヶ月、私はとても幸せでした。私が書ききれなかったところを推し量り言葉にしてくださった方々、そしてご自身の体験までお話してくださった方々もいました。感謝に絶えません。

皆様にいただいた御心を持ち続け、これから生きたいと思います。

           2024年 7月20日 




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