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生きづらい世の中 〜LGBTQ+編

前回のアンコンシャスバイアス編に続き、
LGBTQ+編です。
前回の記事はこちら↓

今回もセンシティブな話題に触れていきますが、批判的コメント含めて忌憚なきご意見をいただければと思います。

それでははじめにLGBTQ+という言葉をご存知でしょうか。
昨今では、メディアでもかなり取り上げられ、認知率は高まっているのではないでしょうか。

香川県さぬき市の資料では、こう書かれてます。
検索トップがこれだったので、さぬき市の言葉を引用していることに他意はありません。

LGBTQ+」って? セクシュアルマイノリティ(性的少数者)を代表するレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クエスチョニングの5つの頭文字を取った言葉に、「+(プラスアルファ)」を付けた通称です。https://www.city.sanuki.kagawa.jp/wp-content/uploads/2013/09/0307p4.pdf

NHKのサイトでは、こんな記載も見受けられました。
「性のあり方」を、4 つの要素に分けて整理する考え方があります。法律上の性(出生時に割り当てられた性別をもとに戸籍等に記載された性別)、性自認 (自分の性別をどう認識しているか)、性的指向 (恋愛感情や性的な関心がどの性別に向いているか、向いていないか)、性表現 (服装や髪型、言葉遣い、しぐさ等、自分の性別をどう表現するか)という4つです。このうち性的指向(Sexual Orientation)と性自認(Gender Identity)の頭文字をとったSOGI(ソジ)という言葉も使われています。

今回は、そこまでの深掘りはせずにLGBTQ+について私が思うことを文字に起こしたいと思います。

私は、LGBTQ+所謂、性的少数者(以下、マイノリティとも表現)に嫌悪感はありません。
ただし、どうしても生きてきた中での経験等から偏見が無いかと言われると自信を持って否定はできません。

ただ、なんでもかんでもLGBTに過剰に結び付けたり、言葉狩りを行ったりする世の中はどうかと思います。

例えば、ディズニーランドやJALが“Ladies and gentlemen”というアナウンスを“Hello, everyone” とジェンダーに配慮したものに変更したらしいです。
下記の記事では、言葉狩りではない!というXジェンダー当事者様の持論が展開されております。以下引用とコメント

“しかし、ディズニーの件が報道されると、企業のこのような取り組みに対し「言葉狩りだ」「生きづらい世の中になった」と非難するツイートが、Twitterでバズっているのを見かけました。果たしてこれらの企業の取り組みは、誰かの生きづらさを生んだ「言葉狩り」なのでしょうか。”

→果たしてこのことを言葉狩りと捉えている人は、本当にそんなにいるのでしょうか。
 私は、この話題に触れるまでこのことを知りませんでしたし、過剰反応する内容なのかとも思います。

“Xジェンダー当事者として、私はこの企業の動きが素直にうれしいです。かつての “Ladies and gentlemen” という呼びかけでは「自分は排除されている、歓迎されていない」とまでは思わないものの「やっぱりこの世には男女しかいないのが当たり前なんだな」とは心のどこかで感じていて、モヤっとしていました。”
https://lgbter.jp/noise/0089/

→こちらに関しても、“Ladies and gentlemen”という言葉自体、一種の慣用句というか定型文というか、年明けの“明けましておめでとうございます。”という言葉に対して本当におめでとうって思ってる?というような主張がなされている気がしてなりません。(誇大解釈すぎかもしれませんが…)

すべての当事者がこのようなことを考えているのではないとは思いますが、声が大きい人のお話が悪目立ちしている、または主張を多く目にすることは紛れもない事実かと思います。

また、職場で“ストレート・アライ”という言葉を目にしました。
ストレートは異性愛者を指し、
アライは、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)を理解し、支援する人のことを指すそうです。
自分の考えが歪んでいるのかもしれませんが、こういった主張が行われること自体が、平等や多様性を目指す世の中ではないのではないかと思ってしまいます。

まず、“ストレート”自体が差別用語じゃないの?と思ってしまいました。
ソースがこのサイトでいいのか分かりませんが、違うみたいです。

“「ストレート」という言葉はもともと同性愛者の側から使い始めたのであり、マジョリティがマイノリティを「歪んでいる」と揶揄する目的で作ったものではないということ、その語源も「まっすぐ」という意味の「ストレート」ではないということがわかりました。”
https://jobrainbow.jp/magazine/straight

自分ルール全開な気がします。
こんなことを言い始めると、私がマイノリティの方を“普通じゃない”と表現してしまうことに対して、統計的な観点から見て、普通じゃないと言っているのであって、対義的な意味の異常と言っているわけではないと主張したくなります。

また、アライの活動についてもそうです。
わざわざ定義する必要があるのでしょうか?支援する人っていう言葉を作るということは、支援される側っていう認識があるのでは。と思ってしまいます。すでにそこに差別的な感情や表現を含んでいるのではないでしょうか。

ここまでの主張から、私自身に対してLGBTQ+の方に偏見があると思われても仕方ないと思います。実際にあると思います。理由は、感情論で批判的な意見を主張されるかたの声があまりにも大きいからです。

ただ、私が今までお会いしてきたマイノリティの方々は、そのような方ではないことも事実としてあります。

私自身、どちらかと言えば受け入れられるほうだと思っています。
アンコンシャスバイアス編の時にも思いましたが、Z世代やゆとり世代と呼ばれる10代から30代前半の人たちの中では、インターネット等が発達し、様々な考え方に触れる機会が増えており、近くにそういった方がいた時に過剰に否定的な感情や批判的な態度を示される人は少ないのではないのでしょうか。

実際に経験則として、40代以上の方々のほうが、日常の会話等に偏見があるように感じます。

皆さんがこのようなことを意識せず生きやすい世の中になることを祈ります。

まあ、すべて私のアンコンシャスバイアスなのかもしれませんが…

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