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社会の変化をのぞむ

今度の風の音楽家のツアーでは、
もうCDの販売はせず、
僕が田んぼで作った
「お米」を
物販コーナーに置こうと想っている。

まず、もう、みんな、
CD、聴かないよね?

そんなこんなの時代から、
もう10年は過ぎて、
「年配の人はまだCDを聴く」
なんて思い込みも
僕にとってはもう
幻のように感じている。

そもそも
時代が下って、
僕自身が「年配」の入り口に
立っている。

かつての年配の方々は
続々と鬼籍に入られている。

「CDの良さ」を主張したって、
かつて
「CDじゃダメだ。
レコードの方が品質や音質が
ホンモノなんだ」と、
主張していた方々を
思い出せば、
同じことをしていることと
氣付く。

まぁ、だから、
言い方次第なんだよね。
売り方次第なんだよね。
と思う。

どんな風に
受け入れられる「価値」として
提供できるか。

そこで一番重要視されるのは
「マーケティング戦略」だ。

*************

「マーケティング戦略」は「音楽」
ではない。

対価を得るためには
「マーケティング戦略」が必要だ。

「マーケティング戦略」の
1手段として、
「音楽をCDという製品にして売る」
という手法で考える。

今、このタイミングで
敢えて「CD」という手法を使ってみる。

みたいなね。

*************

「売れるためのマーケティング戦略」を
主体に置けば、
「音楽」はただの1手段で、
単純に今は他の手段を使った方が
利益が出ると思う。

例えば、
今のyoutubeの時代に、
音楽よりも、
面白い「喋り」が出来た方が、
再生回数が伸びて、
なんか、上手くやれそうだ。

そもそも、このnoteだって、
多分、やり方次第では、
良いマーケティング手段になりそうだ。

*************

しかし・・・、

マーケティングを考えて、
noteを書くか?
音楽をするか?

何かが本末転倒な感じがする。

でも、やっぱり、
誰かに届いて欲しいから、
マーケティングの手段として、
音楽を考えてみる。
noteの書き方を考えてみる。
(モノ書きになるのが僕の理想じゃないんで
noteはけっこう出まかせで活用しています。
でも『noteの書き方』とかのコンテンツ
を見受けたりするから、
人の価値観てそれぞれなんだなぁ
と実感します)

・・・それで、
望ましい結果は得られましたか?

得られますか?

望んだ売り上げも得られず、
自分らしい振る舞いも出来ず・・・。

売れない、ダサい男がここにいて、
そして少数の世間から
向けられる白い目も
まったく「本当の僕」を映してなくて。

そこに
何の「実り」があるのだろう?

さらに、仮に、
努力が報われたとしましょう。

その「結果」は、
まったく「自分らしい自分」では
ないんですよ。

それを続けるのも
それはそれでしんどかろう。

*************

本当にやり方次第だし、
人によって
目的も違えば
手段も違う。

人によって
僕の「手段」が「目的」
になる人もいるし、
僕の「目的」が
単なる「手段」だったりする。

僕自身だって、
視点を変えれば
「手段」は目的になり得るし、
掲げた目標は
単に幸せになるための
「手段」とも
考えられる。

*************

さて、
「音楽」は
お金を得るための
「手段」なのだろうか?

「お金」は
音楽をやり続ける「目標」に向けた
「手段」なのだろうか?

「お金」は
音楽をし続けるために
「必要」と想われる
1手段です。

だから
別の手段を用いてもいい。

(あ、冒頭に書き出した
「お米を売る」ってことは
「お金を得る」ための1手段で、
音楽をするための手段なので、
ここでは意味を為しません。
それはそれで、後で文章を
回収しようと想っています。)

「音楽」ってやつは
お金が必ず要るってわけじゃない。
自由に動く、身体がひとつ
あればいい。

健康に生きていることは
必須かもしれない。

健康に生きる目的のために
用いる「手段」が
「音楽」なのかもしれない。

いや、
音楽をする目的のために
用いる「手段」が
「健康でいること」なのかもしれない。

*************

まぁ、それに
楽器が必要だったりする。

勉強が必要だったりする。

届けたい「相手」が必要だったりする。

社会からの「承認」が
必要だったりする。

そしてそこには
いつも必ず
「お金」が必要だったりする。

*************

これらは本当に「必要」
なのでしょうか?

真の目的は?

書き出してみて気づく。

「音楽」を手段とした
「社会参加」を
欲しているのかなぁ?

それが「目的」なのかな?

*************

そして、その「社会参加」の
頭取、取締役のように
今、全てを凌駕している「お金」。

楽器を手に入れるにも
お金が要る。

勉強するにもお金が要る。

宣伝するのにお金が要る。

場所を借りたり、
演奏の許可を得るために
お金が要る。

健康な身体でいるために
お金が要る・・・・。

お金要る?

*************

縁あって、
楽器職人さんから
楽器をいただけたら
お金は要らない。

「勉強」なんて、
知りたいことがあったら
それをインターネットやら、
誰か知ってる人に
聴いて、経験していけば
いいだろう?

どこで、誰が
「お金」を発生させているんだ?

宣伝費を
請求してくる人は誰だ?

何のための宣伝?
承認欲求を満たすため?
いやいや、
請求された金額を支払うために
誰かからお金を回収しなくては
ならないから、
お金を取得するために
お金をいただける人を
より多く得るための
手段だよね?

次。

なぜ、音を鳴らし、
祈り、踊るために、
場所代やら、営業の許可を
支払わなくてはならないんだ?

なぜ承認されるために
お金を支払わなくてはならないんだ?
それは誰の懐に入るものなんだ?


最後に、
健康でいるために
「お金が要る」だなんて、
今は、全く逆方向へ向いている
と感じる。

健康であるために、
ある程度のお金を払って、
均一なサービスの提供を受ける。

食品の購入。
運動の購入。
知識の購入・・・。

*************

こんなことを
日々、考えだしてしまった僕には
なかなかお金を得るための
「手段」を見出せなくなってしまった。

お金を「目的」と
出来なくなってしまった。

でも、
残念なことに、
「お金の請求」は
とどまるところを知らない。

やっぱり、どこかで、
お金を得ることを考えないと、
この現代社会では社会参加、
なかなか出来ないよなぁ・・・。

CDは売れない。というか、
もう、ネットの方が聴きやすいから、
無料でたくさん聴いてください。

出し惜しみしないから。

どこかで囲って
有料価値出したところで、
そんな、購入した人だけが得られる
有益な価値なんて
無いから。

*************

でも、どうやって、
どこで僕はお金を得ようか?

この3年、
僕は、1日の内の
かなり長い時間を、
自給のための田んぼに
費やしている。

去年はけっこうな収穫を得られた。

次の収穫までは保てそうなほど・・・。

これでいいかな?

「余剰生産を利益に還元する」
資本主義の原則として習ったし。

余剰生産を増やすための
産業革命的な努力はしていません。

耕運機とハーベスタくらいかな・・・。

無農薬、無肥料。
草取りは一人這いつくばって
「宇宙除草」(と呼ばれるらしい)。

宇宙除草

まったくGDPに貢献してない暮らしです。

草取り、草刈り、自分の髪の毛も刈り。

これを誰かに賃金払ったり、
賃金労働として、
雇われ草を刈たら、
日本のGDPは上がるのでしょう。

こういうSDG's的な「良いこと」に
もっと雇用を増やせばいい。
お金の動向を創ればいい。

なんてことを、
数年前には想ったのですが、

もうこれ以上「お金の動向」の
どうこうといった市場社会に
暮らしを荒らされたくない。

それがだんだんと、
切なる願いとなってきました。

健やかな暮らしを、
市場原理に明け渡してしまったら、
格差の開く仕組みで出来ている
資本主義社会の
「弱い者たち」は
斜陽の夕暮れ社会で
「さらに弱いものを叩いて」
蜘蛛の糸に群がる
亡者のようになってしまいます。

*************

だから、
いちおう、
お米を売らせていただきます。

でも、
なんか、
それも違うんじゃないかな?

なんて想っています。

「無農薬」とか言って
それをウリにして、
市場価値を付加して売る。

すると
また品質の競争が始まる。

なんか、
違うんじゃないかな?
って想っています。

でも、悔しいけど、
この「暮らす時間」の中の
大部分の労働力を費やしているのは
「田んぼ仕事」だから。

頑張ったアピールして価値を主張すると、
頑張れてない人は、自分は
「劣っている」という考えに
なってしまうから。

市場競争に晒され、
優劣を評価される社会、
もう辞めたいな。

なんて想っています。

*************

下記リンクの「ベーシックインカムちゃんねる」に
多大な影響を受け、
動揺して、情緒不安定な日々です。

よかったら
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そんな「売る」という行為から
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創った平魚泳の音楽たちは
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