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表に現す行為について

新しい曲を創ったところで、
新しい表現を創ったところで、
歌う場所も無ければ
聴く人もいない。

そんな虚脱感で、
創作への集中を先延ばしにしている
作品がいくつもある。

「あ〜この感じ、描きたい!」
この風景、情景を
掴まえたくなる衝動に駆られるのだが、
途中で虚しくなって
やめてしまう。

******

じゃあ、
僕が
今、ヒットを飛ばしている
作家、ミュージシャンだったら?
そんな人のご活躍を
想ってみる。

******

ヒット曲がある。
好い曲を創った。

聴いてくれる人がいる。
歌う場所が、会場があちこちに
スケジュールが埋まっている。

何度も何度も、
そのヒット曲を
歌わなければならない。

「仕事」である。

その曲を歌うまでに、
多くの人が関わり、
多大な装飾が施される。

そのヒット曲は
自分でも納得な曲だとする。

吐き出すような
パンクロックじゃない方がいい。

↑こんな…


出来れば
何度歌っても、
歌えば歌うほどに
幸せになれる曲がいいな。

↑こんな…

*****

それでも、
それだとしても、
そのヒット曲を
歌うばかりで、
新しい曲を創ったところで、
そのヒット曲の次回作に見合う曲を
創らなければならない。

見合わない曲は
今の僕の状態と変わりはない。

新しい曲を創ったところで、
新しい表現を創ったところで、
歌う場所も無ければ
聴く人もいない。

創りたかった「あの感じ」が、
表に現されたところで、
その行き先が
どこへ行くのか、
どこで消えるのか、
わからない。

そこを何とかして掴まえる。
虚脱感に負けずに、
物質、現実に近いところまで
現出させる。

「仕事」にしてしまって、
企画して、
スケジュールを確保して、
多くの人と関わった方が、
優先して「やるべきこと」
として保証される。

でも、それで、
かけがえのない「あの瞬間」を
台無しにしてしまったことが
否応なしに
ある。

*****

こうして
早朝の公園の
グランドのベンチの屋根の下で、
インスピレーションがやって来て、
それに触れ得るのか、
逃すのかに、
立ち場は関係ないんだな…

やるかやらないか。

受けるか受けないかに、
言い訳は要らないな。

今回は
こんなことを
noteになぞってしまったので、
やって来た「アレ」を
掴まえる行為は
やめました。

いや、
なんだ?この鼻腔をくすぐる
雨の匂いは!

この味わいを
どうにかしたくて、
10代の頃から
ずっとこうして生きています(笑)。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。