表に現す行為について
新しい曲を創ったところで、
新しい表現を創ったところで、
歌う場所も無ければ
聴く人もいない。
そんな虚脱感で、
創作への集中を先延ばしにしている
作品がいくつもある。
「あ〜この感じ、描きたい!」
この風景、情景を
掴まえたくなる衝動に駆られるのだが、
途中で虚しくなって
やめてしまう。
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じゃあ、
僕が
今、ヒットを飛ばしている
作家、ミュージシャンだったら?
そんな人のご活躍を
想ってみる。
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ヒット曲がある。
好い曲を創った。
聴いてくれる人がいる。
歌う場所が、会場があちこちに
スケジュールが埋まっている。
何度も何度も、
そのヒット曲を
歌わなければならない。
「仕事」である。
その曲を歌うまでに、
多くの人が関わり、
多大な装飾が施される。
そのヒット曲は
自分でも納得な曲だとする。
吐き出すような
パンクロックじゃない方がいい。
↑こんな…
出来れば
何度歌っても、
歌えば歌うほどに
幸せになれる曲がいいな。
↑こんな…
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それでも、
それだとしても、
そのヒット曲を
歌うばかりで、
新しい曲を創ったところで、
そのヒット曲の次回作に見合う曲を
創らなければならない。
見合わない曲は
今の僕の状態と変わりはない。
創りたかった「あの感じ」が、
表に現されたところで、
その行き先が
どこへ行くのか、
どこで消えるのか、
わからない。
そこを何とかして掴まえる。
虚脱感に負けずに、
物質、現実に近いところまで
現出させる。
「仕事」にしてしまって、
企画して、
スケジュールを確保して、
多くの人と関わった方が、
優先して「やるべきこと」
として保証される。
でも、それで、
かけがえのない「あの瞬間」を
台無しにしてしまったことが
否応なしに
ある。
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こうして
早朝の公園の
グランドのベンチの屋根の下で、
インスピレーションがやって来て、
それに触れ得るのか、
逃すのかに、
立ち場は関係ないんだな…
やるかやらないか。
受けるか受けないかに、
言い訳は要らないな。
今回は
こんなことを
noteになぞってしまったので、
やって来た「アレ」を
掴まえる行為は
やめました。
いや、
なんだ?この鼻腔をくすぐる
雨の匂いは!
この味わいを
どうにかしたくて、
10代の頃から
ずっとこうして生きています(笑)。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。