見出し画像

「有害」と「無害」のあいだの向井くん、行く先は | 『こっち向いてよ向井くん』

少し前に、友だち宅に数人で集まった際、私ともう1人の友だちで近所のスーパーに食料の買い出しに行くことがあった。おそらく鍋かなにかをつくろうとしていたはずだ。魚を買おうと鮮魚コーナーに行ったところ、「調理加工承ります!」という張り紙がある。頼めば、ウロコを取ったり3枚おろしにしてくれたりするということだ。

頼んでみる?でもこのくらいの魚だったらみんなで調理できそうな気もするね、などと相談している私たちを見て、近くにいた店員さんが声をかけてくれた。

店員さん「お魚調理、無料で承りますよ!」
友だち「このくらいの魚、家で下処理するのは大変ですかね?」
店員さん「うーん、できなくはないですけど、切り落とした頭とかが臭くなって、生ゴミの処理とか、奥さんが大変かもしれません。ねえ?」

と、その店員さんが、困ったように眉を下げた笑顔を私の方に向けた。

私は意味がわからず一瞬フリーズしたが、すぐに了解した。ああ、私は「奥さん」だと思われたのだ。一緒にいた友人は男性の見かけをしていて、私は女性の見かけをしていて、そういう2人が一緒に買い物をしているのだから、2人は夫婦であるはず。そして、家で魚を捌くのはご主人の方で、そこで出た生ゴミは奥さんであろう私が処理するはずだ、と。そのように「なんとなく、そういうもん」とされる、いくつもの当たり前を前提とした店員さんの「奥さんが大変かもしれません」という気遣いの一言だったのだ。

店員さんが去ったあとも、私はその場でポケっと考え込んでしまっていた。「いちいち気にし過ぎだ」と言われるかもしれない。たしかにそうかもしれない。しかし、いちいち気になってしまう。私はもうそれが当たり前だとは思えなくなっている。そして、そういう人も増えてきているんじゃないかと思う。当たり前とされているものを、一つひとつ考え直していかなければならない世界になっていってるのではないだろうか。

そういう「いちいち」をいちいち一緒に考え直して、解体していこうとした作品が、ねむようこさんの漫画を原作にした日本テレビのドラマ『こっち向いてよ向井くん』だったのだと思う。

赤楚衛二さん演じる主人公・向井くんは、柔らかく優しい雰囲気を持った人だ。そういう意味では、フェミニズムと親和性のある心と身体の持ち主だと言えるだろう。限りなく「無害」に近い人だ。しかしそんな向井くんも、「有害な男性性」とまでは言わないまでも、家父長制に基づく社会の刷り込みによって、うすーく「有害さ」を抱えている。

例えば、女の子は男が守らなければいけないもの、と思っていたり。派遣として同じ会社で働き始めた女性の愛想のいい仕草から、「俺のことが好きに違いない」と勘違いしてしまったり。しかし、彼が当たり前だと思っているような価値観は、実際は自分の意思から生まれたものなどではないのだ。

このドラマの『こっち向いてよ向井くん』というタイトルからして、「向井くん」という名前には「ちゃんと私たち一人ひとりと向き合ってよ、向井くん」という意味が込められているのがわかる。そこにさらに、「“有害”と“無害”の間にいる、”むがい”一歩手前の“むかい”くん」という意味も、見出せるかもしれない。

そんな向井くんが、有害さから抜け出していくきっかけとなるのが、波瑠さん演じる坂井戸洸稀という人物だ。向井くんは、義理の弟・元気が経営するいきつけのバーで偶然彼女と知り合い、ひょんなことから会話をして親しくなっていく。

向井くん(赤楚衛二)と坂井戸さん(波留)

作中で坂井戸さんの口から飛び出す鋭い指摘の数々。

「向井くんてさ、あんまり相手の気持ち考えてないんじゃない?」
「彼女が何を求めてるか、彼女の立場で考えた?」
「“女の子”なんて人格はないの」
「人それぞれ、相手に合わせて考えて」

坂井戸さんの指摘に喰らいつつも、向井くんは持ち前の柔らかさと素直さで受け入れていく。

坂井戸さんは図らずも、「有害さ」から脱却していく向井くんの手助けをしていくことになる。

もちろん、人は万人に対して「無害」な存在になるなんて事はできない。大抵の場合、人は意図せずに誰かを加害してしまうのだろう。しかし、そのことに開き直らずに、自分の有害性を見つめて、それでも相手を思う自分であろうと努力する。最終回では、向井くんはそんなところにまで思いを至らせるような人に変化していた。

向井くんがそのように変化したのは、様々な人と関わり、失敗しながらも、改めてちゃんと向き合おうとしてきたからだ。そしてその度に、向井くんにとって重要な言葉をかけてくれていたのが、他でもない坂井戸さんだった。向井くんはいつの間にか彼女を恋愛的な意味でも好きになっていた。「告白する」という行為の一方的な加害性に悩みながらも、最後には、自分の意思で丁寧に言葉を選び、真摯に想いを伝える。

結局2人がどのような関係になっていくのかがはっきりしたわけじゃない。しかし、まだ世の中に名前がない関係だとしても、相手のことを考えて、対話を重ねて、2人だけの関係を築いていくことができるという希望を見せてもらえたラストだったと感じた。

また、このドラマを語るには、もう一組、欠かせないカップルがいる藤原さくらさん演じる向井くんの妹・麻美と、前述した岡山天音さん演じるその夫・元気の2人だ。この2人は、麻美の実家で母親と向井くんと一緒に暮らしている。元気は、向井くんと同じように柔らかく優しく、限りなく無害な雰囲気をまとった人だ。しかし元気もやはり、家父長制に基づく有害な男らしさをうすーく抱えている人物であった。元気は、結婚したからには大黒柱である自分が家を買って家族を支えなければとひとりで責任を感じ、躍起になっている。2人でマンションの内見に行ったときも、「ご主人」と呼ばれた元気はまんざらでもないような様子だ。麻美はただ元気という人を好きになったのに、結婚した途端に、制度や「当たり前」に絡めとられ元気自身を押しつぶそうとする元気を見て、「わたしたちふたりの間にノイズが混ざってるのが嫌だ」と訴える。それに対し、元気は「結婚って“そういうもん”じゃん」と理解できず、ついには麻美に離婚を言い渡されてしまう。

麻実(藤原さくら)と元気(岡山天音)

衝突を重ねるなかで、変わっていったのは元気だけではなかった。たしかに元気にも、うすーく「有害さ」があり、結婚という制度に呑まれて無理をしてしまっているように見えることもあった。麻美はそれを「元気自身の夢を蔑ろにしようとしている」と決めつけてしまっていた。しかし、元気にとって、麻実との生活を知った今となっては麻実と生きることこそがかけがえのない新しい夢となっていたのだ。その元気の思いを聞き、麻美は自分が一方的に元気のことを決めつけていたと反省する。そして麻美も変わろうと努力し、気づいたのは、対話の大切さだった。

結局2人は、籍は入れずとも、お互いがお互いのままで一緒にいられる方法を模索していく道を選ぶ。家計はどうするか?子供はほしい?子供ができたら、苗字はどうする?そういうことを「いちいち」2人で考えていく。それがたとえ面倒で、まどろっこしい作業だとしても、大切な元気が元気のままでいられるなら「受けて立つ」という麻美の宣言は、とても清々しかった。

この麻美と元気という2人の関係もまた、向井くんと坂井戸さんと同じように、これまでの社会の当たり前にはまらない、2人だけの関係を築いていける、という希望を見せてくれたと思う。

テレビCMやドラマは、社会の当たり前を形成していく上でとても大きな役割を果たす。テレビを見ない人たちが増えたとはいえ、いまだに多くの人たちの目に触れるものであることには変わりないだろう。例えば、生理がタブー視されなくなってきたのも、生理用品のCMが果たした役割が大きかった。

そしてドラマは、CMでは到達できない深いところまで、時間をかけ丹念に解体していくことができる。『こっち向いてよ向井くん』は、そのようなドラマの力を、優しく証明してくれた。ぜひたくさんの人に見てもらいたい、見た人たちとあーだこーだひたすら話したい!と思える作品だった。

--------
Tverで『こっち向いてよ向井くん』1話から3話までが無料で視聴できます。

huluでは『こっち向いてよ向井くん』全話視聴できます。


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

おすすめ名作ドラマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?