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もっと知ってほしい日本画の素晴らしさ

 さて今回は大好きな趣味の一つ、日本画について。趣味と言っても自ら描くわけではなく観るのが好きというだけだが。


 そもそも現代の日本において日本画という文化とまともに向き合う機会はほとんどないと思う。まあ日本画専門の美術館は常にあるし専門でなくても展覧会はよく開催されているので機会はあると言えばあるのだが、何のきっかけもなしに自らの意思で日本画と向き合ってみようという人は少ないはずだ。ほとんどの人が絵画を観るならとりあえず西洋画、という人が多い。

 それというのも日本のメインカルチャー自体が欧米の影響を受けたものばかりで、純粋な日本文化は和食以外の多くがサブカルチャー的な扱いになってしまっているからだと思う。

 かくいう僕も絵画に興味を持ち始めた頃は西洋画から入った身である。

 きっかけはテレビ東京の『美の巨人たち』(毎週一枚の絵画にスポットをあて、その背景や技法などを紹介する番組)の雰囲気が好きでよく観ていたこと。

 そこから西洋画に興味を持ち、ベタにダリやマグリットなんかを好きになり、美術館にもよく足を運ぶようになった。日本ではあまり知られていない存在として、ロシアの海洋画家イヴァン・アイヴァゾフスキーも大好きである(おいちょっと待て。前回オメー海洋恐怖症とか言ってたくせにあれは嘘なんかい。所詮ビジネス海洋恐怖症かい!と思うかも知れないが、僕が怖いのはあくまで写真などの現実の海であって、絵画としての海は大丈夫なのである。それにこの人の描く海は本当に美しい。)。

 しかし色々と西洋画を観ているうちに、どこか観ていて疲れるなと思う自分がいることに気が付いた。

 疲れるというのははっきり言うと「うるせえ」という意味である。西洋画は基本的に隅々まで絵具を使って描き込んでおり、その色使いやテーマも含めて画面がうるせえものが多い。宗教画なんかは大抵うるせえし、マグリットは割とおとなしい方だが、ダリはうるせえ。ピカソもうるせえ。ミケランジェロなんて大騒ぎである。
 そういった西洋画の特徴が素晴らしいと思う反面、観ること自体に体力が必要とされているようで、上で書いた「疲れる」というところにつながってきてしまうのだ。


 そして僕は気が付いたら日本画が好きになっていた。


 そう、気が付いたらである。実は明確な日本画への入り口を僕自身覚えていないのだ。初めに誰から入り、初めにどの絵に衝撃を受けたか、完全に忘れてしまった(平井“ファラオ”光は実年齢は36歳ですが、65歳だと思ってご覧ください)。
 まあおそらく一つの大きなきっかけで急に日本画を好きになったというより、グラデーション的にだんだんとのめり込んでいった感じなのだろう(少なくともかなり初期の時期に衝撃を受けた絵として覚えているのは横山大観『龍蛟躍四溟』(りゅうこうしめいにおどる)がある)。

 事実日本画は西洋画に比べて非常に「うるさくねえ」作品が多い。

 一つは西洋画のように画面の隅々まで描き込まず、あえて余白を大きく取ることを美徳としていること。それが観る者に押しつけがましさを感じさせず、静けさや風情を演出し心に安らぎを与えてくれる効果を生んでいるのである。色使いも西洋画に比べて淡い色を多く使っていることで、目に優しい描き方をしてくれている。

 それゆえに西洋画のような強烈なインパクトを与えるというよりも、体の芯の部分からじんわりと温めてくれるような優しい作品が日本画には多い(勿論日本画の中でも様々な表現があるが)。

 そんな日本画ならではの特徴があっさりめの表現が好きな僕の体質に合ったというわけだ。

 そして僕は自分が好きになったものを他の皆と共有したいという想いが強く、また日本という素晴らしい文化を持つ国に生まれながら欧米コンプレックスにより自国の文化に目を向けたがらない人が多い現状にも哀しみを感じている。

 だからこそもっと日本画の素晴らしさを伝えていきたいとも思っている。

 あくまで僕もただの一ファンであることから、言葉や文章でその素晴らしさを伝えるしかないのだが、やるべきことは日本画という文化に対する世間からのお堅いイメージを緩和させることだと思う。

 そもそも世間的に高尚な芸術と見られている「絵画」で、しかも普段あまり向き合う機会が少ない日本画に対しては、やはりどこかお堅い世界で自分には理解できないんじゃないかと思っている人が多いことだろう。

 しかし僕に言わせれば日本人であれば誰もが日本画の素晴らしさに気付ける素質を持っているはずなのだ。

 例えば温かいお茶を飲んだり温かいうどんを食べたりした時に感じるほっとする感覚、日本の田舎の風景を観て何かいいな~と感じる感覚、畳に寝そべった時のあの落ち着く感じ。

 日本画はそれらの感覚を「絵」という形で表現しただけのことなのだ。

 つまり表現方法が違うだけで根底に流れるものは同じなのである。

 だからこそその感覚を日本人なら感じ取れないはずはない。ましてや現代ならネットで画家の名前を調べれば簡易的にその人の作品をざっと観ることができるのだから、ネットでも色々観ていけば好きになれる作品や画家に出会えるはずである。そして好きな画家が見つかったらその人の絵が展示されている美術館に行って生で観ればいい。


 ちなみに日本画入門として僕が個人的にお勧めしやすいと思うのは、


東山魁夷(ひがしやまかいい)
川瀬巴水(かわせはすい)
菱田春草(ひしだしゅんそう)
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)
鈴木其一(すずききいつ)
速水御舟(はやみぎょしゅう)


 ざっと思いつく感じでこの辺だろうか。特に上二人なんかは絶対現代人の琴線にも触れる魅力があると思う。ちなみに本記事のヘッダーの絵は菱田春草の『月四題』(山種美術館所蔵)という絵である。これぞ日本画、といったまさに息が止まるほどに美しい絵だ。
 また作品ジャンルとして入るならばまずは分かりやすく「可愛さ」も感じられる花鳥画なんかはお勧めである。
 それにしてもこうして名前を並べてみると最近は見慣れない難しい漢字が多いこともまた日本画が敬遠される要因になってるなこれ絶対。魁夷(かいい)とか読めてたまるか。


 上記の画家を良かったら検索などをして一度是非観ていただきたいのだが、しかし絵を観る前にまず何よりも大事なことがある。


 それは自分自身の心構えである。


 全てのエンターテインメントに当てはまることだが、まず自らがそれを楽しもうという意志がなければどんなに素晴らしい芸も楽しめない。つまり日本画は難しい、お堅いといった固定観念を捨て、自ら楽しめるポイントを見つけようとする意志こそが大事なのである(絵画は高尚なイメージのおかげで楽しめなくても表現者側のせいにされなくて羨ましいな~)。そしてその楽しみ方に正解も不正解もない。自分がいいと思えるポイントがあればそれでいいのだ。そして一枚の絵画に一つでも楽しめるポイントがあったのなら、そのポイントを軸に他の絵画も観ていくといい。そのうちにどんどんいいと思えるポイントが増えていくはずである。これは「勉強」的な感覚ではなくただ「慣れる」だけに近い。

 そして気が付いたらあなたも日本画が好きになっているという寸法だ。

 


 そのうちいつかの落語ブームのように何かのきっかけで日本画ブームが来ることがあるだろうか。まあできればファッションとしてのブームではなく真の意味で日本人が日本人としての心を取り戻してそうなってほしいものだが、とにかく僕はこれからも日本画の素晴らしさを訴え続けようと思う。


 なぜならアイアム日本人だから。



※ちなみにここまで当たり前みてえに「日本画」という言葉を使ってきたが、「日本画」という言葉自体は明治以降に西洋画の対比的な言葉として生まれたもので、本来それ以前のものを日本画とは呼ばない。ただ便宜上伝えやすいので普段は全部ひっくるめて「日本画」と言わせていただいている。あしからず先輩。


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