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20240501 (おおよそ)地球八周半

「テクストのコラージュ」と「演劇への批評性」というのがたぶん、私が主宰する平泳ぎ本店という演劇カンパニーの特徴だ、ということを先日稽古場でなんとなくみんなで話していた。今回参加してくれている俳優の熊野晋也さんは(ありがたいことに)以前から平泳ぎの作品を観てくれていたから、その熊野さんから見てもこの二点はまあ結構芯を食った特徴なのではないか、ということだった。

▼加えて俳優による主体的な創作、俳優によるアイディアを持ち寄った創作(ディバイジング)によってつくられているというのも一つあるかと思う。演出家や劇作家の強いひとつの世界観によって支えられる作品というよりは、そこに集まった俳優たちの様々なアイディアが織り重ねられ、シーンごとに編み上げられていくようなつくり方をしている。

▼私も今回「構成・演出」としてクレジットを入れているけれども、いろいろ思うところあって最後には出演することにした。そんなに深刻な理由ではなくて「劇団としてはじめての野外劇に、自分も俳優として舞台上に立っていたい」というのが一番大きな理由だった。

▼演出家も劇作家も舞台には立たないし、結局のところ俳優がつくらなければ仕方がないのだ、と思う。演出家がいても劇作家がいても、最後に観客の前に立ってシーンを組み上げていくのは俳優でしかない。だから「俳優たちの主体性をいかに引き出してくるか」ということが、この場での演出としての私のもっとも大きな役割だということになる。

▼劇作家(物語)をもたない以上、テクストのコラージュというのはカンパニーとしては生命線というか、大袈裟に言えば生きていくための道だと思っている。何か大きな物語に従順に奉仕するのではなくて、もっともっと俳優の都合で束の間スパークするために高い燃焼度でテクストと向かい合う。全編通して上演したらおよそ考えられないほどのエネルギーを一瞬に注ぎ込むことで飛び散る火花がつまり我々だという言い方もできるだろうか。

▼そして演劇に対する批評性、である。元々メンバーの多くが新劇(ストレートプレイ)の文脈出身であることと、私自身が学生の頃に座学でこれでもかという尖りまくった西洋演劇(と伝統的な日本演劇)に触れまくっていたこと、そして今もなお人並み以上に演劇が好きだというような条件が揃って、演劇への想いがとうの昔に地球を八周半くらいしてしまっている。もう、ただの演劇では我慢ができない。古今東西の様々なレシピを参照しながら料理した様々な演劇というものを、食って噛んで消化して、出てきた排泄物を肥料として育った樹木の新芽みたいな演劇をつくっている。いつかこの木が育って大きな枝になり、その日陰で誰かが休んでくれたなら、と思いながら、演劇をつくっている。

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