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シン・仮面ライダー

棒立ちで仮面は少し傾き不恰好な仮面ライダー。
クモオーグとの戦闘シーンでワンカットだけ入るこの不気味なショットを観て、私は庵野秀明を知りたくなった。

現在、劇場公開中の庵野秀明監督作『シン・仮面ライダー』。これまで『シン・ゴジラ』(2016年、樋口真嗣監督)や『シン・ウルトラマン』(2022年、樋口真嗣監督)など、シン・シリーズは樋口真嗣が監督の役職を担い、庵野秀明は総監督というどこか曖昧な立場で作品を作ってきた。

だが、今回の作品で彼は監督に戻った。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』(2021年)以来である。
なぜ庵野秀明は『シン・仮面ライダー』で総監督でなく、監督を務めたのか。
それによってこの作品に生まれた庵野秀明監督の作家性を探求していきたい。

私は庵野監督を知るために、彼の地位を決定的なものにしたエヴァンゲリオンシリーズを観ることから始めた。
テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン(1995〜1996年)の全26話と、旧映画版と呼ばれる『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH (TRUE)2』(1998年)『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを君に』(1997年)の2作。
新劇場版と呼ばれる『エヴァンゲリオン新劇場版:序』(2007年)エヴァンゲリオン新劇場版:破』(2009年)『エヴァンゲリオン新劇場:Q』(2012年)、そして『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』(2021年)の4作からなる、計7作のエヴァシリーズを視聴と鑑賞をした。

エヴァンゲリオンの劇場版作品も総監督として
クレジットされている作品あるが、作り直しを重ねた、共通した一つの作品として今回は捉える。
また、実写映画をテレビアニメ、アニメ映画とを比較して作品批評をするのは、少し抵抗を感じる部分もある。
今回は僕の書きたいように書かせてもらう。

だが、エヴァンゲリオン シリーズと『シン・仮面ライダー』に共通してみられる庵野秀明監督の作家性を感じる共通点があった。
それは ”死の願望と生への執着” である。

『シン・仮面ライダー』で池松壮亮が演じる本郷猛、仮面ライダーと敵対する森山未來が演じる緑川イチローの目的は、人類を肉体から解放し、ハビタットと呼ばれる魂だけ集まる天国のような場所に移すこと。
このイチローの願いに近いものが、エヴァシリーズの「人類補完計画」である。
肉体という不完全なものを捨て、魂だけの完全調和の世界。この計画を推進する碇ゲンドウとイチローの目指す世界、そして目的は共通している。
この肉体捨てた解放された世界、つまり死後の安らぎの世界を庵野監督は作品の中で共通して目指している。

だが、庵野監督はその目的と反して人間らしさを描くのに優れている。
その人間らしさとは、彼が描く登場人物たちの動きや姿から感じ取れることができる。
肉体を捨てた安らぎの世界を目指す彼が、人間らしい混沌とした動きを描くのに特化しているとは、皮肉な話である。

序文で書いた棒立ちの仮面ライダー。
アマチュアのスーツアクターをやっていた経験から、あの立ち姿は殺陣をしていない。ヒーローの着ぐるみ、所謂ガワを、偽物に見せないために、スーツアクターの影を消すために、大きな立ち回りをするのだが、あのショットには中に入った人間の影が色濃く出ている。

悪く言えば素人の立ち方だが、庵野監督は芝居を超えた人間の素を、この人間らしさ求めていた。
NHKが制作したドキュメンタリー『ドキュメント『シン・仮面ライダー』~ヒーローアクション 挑戦の舞台裏~』で池松壮亮が語っていた「肉体感」はこのショットに滲み出ているように思える。

また、緑川イチローが変身する仮面ライダー0号の戦い方が舞踏をイメージしている動きである点も興味深い。
非力な人間は困難に直面した時、祈る。
自分の家族の安全を、明日の豊作を祈る。
祈りの儀式の中の動き、踊り。
この最も原始的で人間らしい動きを、死後の世界を求める冷徹な人間が行う。

このような描写は『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』(2021年)でも描かれた。
碇ゲンドウによって作られた綾波レイが碇シンジたちと行き着いた村で農業をする、子供をあやす。命令に忠実な心を知らない少女は自らの意思で生活を始める。
テレビアニメ版で使徒に負けた初号機と弐号機が
逆さまになって地面に突っ込み、足だけ写ってるショットはアニメらしい笑えるショットだが、エヴァンゲリオンという人造人間、装甲(拘束具)を身につけたロボットする動きにしては人間らしい滑稽で可愛らしい一面も見せている。

肉体を捨てたい男が不完全な肉体を描く。
人間として生きてしまう。人間として生きたい。
生への執着が彼の演出に表れている。

死への願望と生への執着。
調和を願いながら不調和なままの不器用さ。
完璧を求めた先の妥協。
死を願うけれど生き続けてしまう愚かさ。
そんな不完全な存在が世代を超えて続いていく。
庵野監督の作家性はこのような人間臭さい表現だと考える。
この私たちらしさが私たちの心掴んで離さないのだ。

評価: ☆☆☆

追伸
マフラー似合ってて良かった。

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