『マチネの終わりに』第六章(65)
長い間、長崎に生き残していた自分を、今改めて生き直している。だからこそ、彼女が原爆について語り合えるのは、同世代人ではなく、むしろこんな若い世代なのかもしれない。母の長崎での時間は、そこで止まったままだったのだから。そして、この地で生き続けてきた人に対する屈折を、意識せずに済むだけに。……
母が外出し、実家で独りになると、洋子は安堵から、悲しみが胸に広がるがままに任せた。
縁側に籐の椅子を出して腰掛け、氷で薄まった麦茶を飲みながら、遠くで聞こえる船の汽笛に耳を澄ました。少し感傷的な気分にもなった。
眼下の庭先には、祖母が転倒して頭をぶつけたあの石がある。幼い頃、いとことよくままごとのテーブルにして遊んだその石。蒔野との初対面の夜、この人は自分を理解してくれると、真に強く感じられたあの喜びのきっかけとなった話題。……
「心に穴が空いたような」という、日本語の紋切り型の表現は、本当なのだと洋子は感じた。
蒔野と会話を交わしたあとには、いつも胸に、自分が束の間、快活であり得たことの余韻が、熱となって残っていた。他の誰と喋っていても、あんなふうに笑みが絶えないということはなく、彼との会話のどこを探してみても、自分が心から話したいことと聴きたいこと以外には、何一つ見つからなかった。
洋子はそういう、彼と一緒にいる時の自分に、人生でこれまでに知らなかった類の愛着を感じていた。自分は、こんなふうに生きられるのだと教えられた気がした。それは、他の誰と、どんな場所にいた時の自分よりも心地良く、部屋に一人でいる時でさえ、彼がすぐ側にいることを考えて、ただその自分でいたかった。
彼を失うということは、つまりは、そういう自分を、これからはもう生きることが出来ないということだった。ただ思い出の中でだけしか。――そして、その「穴が空いたような」心の空白に、今は止め処もなく寂しさが染み出していた。
第六章・消失点/65=平野啓一郎
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