『マチネの終わりに』第六章(63)
高校までスイスで過ごし、アメリカの大学で教育を受け、長くフランスで生活している洋子からすると、母の言葉の味わいは、野趣に富んだとでもいうべきものだったが、しかし、そのそれぞれの言語で、彼女は二人の男を愛し、また彼らに愛されて、曲がりなりにも二度の結婚生活を経験していた。
「それで十分でしょう?」と言われれば、「ええ、もちろん。」と頷(うなず)くしかなかった。
洋子自身が、母の英語がもう少し下手で、その性格がもう少し引っ込み思案だったなら、恐らくはこの世界に存在してはいないのだった。
子供たちは、長崎に投下された原爆について、いじらしいほど真面目に勉強していたが、世代が世代だけに、その理解には、時々、ハッとするような穴があった。
マンゴープリンを食べながら、平和大使の高校生の男の子が、いかにも不思議そうに洋子の母に尋ねた。
「被爆者の結婚差別は、どうして女の人だったんですか?」
洋子の母は、
「どうしてだと思う?」
と少し微笑んで問い返した。
「男尊女卑だったから、……ですか?」
「そういうこともあるけど、――奇形児が生まれると思われてたからよ。」
洋子は、質問をした男の子のあまりにもナイーヴな反応を複雑な思いで見守った。
母が長崎を「去った」理由を、洋子はただ、「嫌になった」としか聞いていなかった。
父の理解によるなら、母は、結婚差別だけでなく、女性として生きてゆくことの――愛し、愛されて生きていくこと自体の――根源的な不安から、被爆の事実さえ、今に至るまで直隠しにしていた。この無邪気な子供たちにさえ、母は言葉の端々で、「わたし自身は被爆はしていないけれど、……」と断っていた。
ヨーロッパでの母一人子一人の生活は、苦労は多かったはずだが、それでも、日本に帰りたいということを、洋子は母の口から一度として聞いたことがなかった。
にも拘らず、母は長い海外生活の中で、日本語だけは決して捨てようとしなかった。そして、洋子が日本語を、日本で育った子供たちと何の遜色もなく読み書きできるということに強く拘った。
第六章・消失点/63=平野啓一郎
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