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『マチネの終わりに』第八章(52)

 広々とした砂浜は、午後も日光浴を楽しむ人々で賑わっている。しかし、水はもう冷たいようで、サーファー以外は、精々、足を漬けてみる程度だった。

 長い浅瀬を、なだらかな波が寄せては返すのを、洋子は父と並んでしばらく見下ろしていた。

「お父さん、……さっきの話で、答えは出てるのかもしれないけど、一つだけ訊いてもいい?」

 ソリッチは、娘の声音から、既に何かを覚悟しているかのように頷いた。

「《ダルマチアの朝日》のあと、次に《幸福の硬貨》を撮影するまでの九年間、何をしてたの?――つまり、お母さんと離婚して、わたしを残して去ってしまったあと。」

「お母さんからは、何も聞いてないのか?」

「何も。でも、お父さんのことは、決して悪くは言わないわね。……」

 ソリッチは、前を向いたまま、まぶしそうに目を細めて、

「――脅迫されていたんだ。」

 と呟いた。洋子は驚いて、父の顔を見上げた。

「どうして? 誰から?」

「……チトーは、よく知られている通り、映画好きの大統領だった。彼は私の《ダルマチアの朝日》を絶賛したが、二作目の脚本は気に入らなかった。彼は、《ネレトバの戦い》のようなパルチザン映画を私に撮らせたがっていた。ユーゴスラヴィア建国の起源として、パルチザンを再度、美化するためにね。あの時代は――一九七〇年前後というのは、どういう時代だった? 自主管理社会主義の分権化の必然として、ザグレブでも、ユーゴスラヴィアの一体性を動揺させる〈クロアチアの春〉のような民族主義運動が起こっていた。私は自分を、クロアチア人というより遙かにユーゴスラヴィア人だと信じていたが、民族主義の弾圧は、長い目で見れば、セルビアとの経済的な軋轢を背景に、悪い結果を招くことは目に見えていた。それに、私は自分の映画を、民族主義運動に対する政治的な反動として利用されることがどうしても嫌だった。」

「党から脅迫されてたの?」

「逮捕される危険はあったが、そうじゃない。――私は、第二作目を国外で制作せざるを得なくなった。ブリュッセルに居を移してね。


第八章・真相/52=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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