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『マチネの終わりに』第八章(45)

 ケンと一緒に日本で過ごした夏休みを終えると、洋子の人生にも、一つの転機が訪れた。

 数カ月来、悩みつつ考えてきたことだったが、記者時代から関心を持っていたニューヨークに本部のある国際人権監視団体の採用試験を受け、十月後半から、難民局のあるジュネーヴ支部に勤務することが決まったのだった。

 洋子の仕事は、EU各国の難民の人権状況を調査し、国連や各国政府に改善のための働きかけを行うというもので、長い歴史のあるこのNGOの中でも、比較的新しい部署だった。基本的にはジュネーヴ勤務だったが、二週間に一度はニューヨークに戻り、本部で仕事をこなすという契約になっていた。

 PTSDに苦しんでいた間は、イラクでの体験の記憶からも、ただ遠ざかろうとするばかりだったが、ようやく体調にも自信が持てるようになり、今は、やり残した仕事への思いが強くなっていた。月の半分はニューヨークにいても、どの道、ケンには会えないのである。その状況を、ただ嘆いているばかりではなく、むしろ生かす術を考えたかった。

 最後に洋子を決心させたのは、やはり、ジャリーラの家族の殺害であり、ジャリーラ自身のパリでの生活難だった。彼女への個人的な支援に留まらず、制度そのものの改善にも寄与したかった。

 再びバグダッドに戻ったフィリップとの会話に触発されたところもあった。自分がどういう考えの人間に共感するのかということを、洋子は久しぶりに思い出し、今後の人生を出来るだけそうした人々と共に費やしたいと願っていた。それが、生の倦怠から逃れるための、恐らくは最も確実な方法だった。

 リチャードとの価値観の違いを巡る対立が、彼女の感情を煽っていたのも事実だった。

 母親としての自分の生き様が、ケンの目に、今後、どう映るのかをも意識するようになった。ヘレンの存在を否定することは出来なかったが、彼女とは違うものの考え方も知って成長してほしかった。

 リチャードは、月の前半と後半とで、二週間ずつ交互にケンを預かる、という洋子の新しい提案に、最初は難色を示した。契約と違うと弁護士を通じて伝えてきたが、一週間ほどすると、条件付きでそれを呑む旨を伝えてきた。


第八章・真相/45=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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