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【読書記録】半歩先を読む思考法 落合陽一

「ビジネス書の皮を被ったただのエッセイ」(著者)

日記だけど、最後まで読むと半歩先が読めるとのことでこのタイトルになったそうで。
読み終えた今、少し先が読めるになっただろうか

著者に深い興味を持ったのは、AIが普及していく現代の働き方や、身体的な分離が進む世界を語る姿をYouTubeで目にしてからだった。
先見性と具体性と、また(やろうとした際には)話の分かりやすさと。広い世界と未来を見ているのに、身近な現場仕事ので起きている現在の問題にも目を向け、必要な相手にはメディアなどで伝えることもする。

つけ入る隙がない天才にも見えるし、身近な問題を考えてくれる草の根解決物知りお兄さんにも見えた

何者なんだ?

知れば知るほどその扱う領域の広さと深さを知り、活動量の多さにドン引きし、尊敬の念はつのって、考え方を見たくなった。

この本(=著者のNote)はそんな著者の考え方を見せてくれるものだった

しかし、頭の回転が私の500倍くらい(もっとかもしれない)速い著者の見ている風景である。当然そんな文章を私の頭で再生すれば500倍くらい時間がかかった。

ただ、先見性と身近感のある思考をじっくり再生するのも楽しい

著者のNote一回分ごとに解説記事が書ける(他の方の解釈も見たい)くらいだ。そんな中でも、個人的に残しておきたくなった文を書き留めておく。

「落合君ってめっちゃ忙しいのに暇だよね、写真見てるとわかる」と言われた。(中略) 現実に批判的(批評的)な観察眼を持ち続けている状態での忙しさは特に疲弊なく過ぎていくということだ。(中略)副音声付きの世界を見ていく。

意識高いとか、働きずくとか、そうした側面を切り取ることはできるのにも関わらず、”落合陽一” 的、の不思議さ。ワークライフバランスとは次元の違う柔らかさの所以はこういう所だったのかと想像した。KIMURA YASUNARIさんの「暇だよね」という表現が素敵

定期的に鞭を体感することが重要。全能感とまっさら間の反復横跳びが思い込む力と突っ走る力を生むと思っている。まっさら感を劣等感と感じてしまうと、ここが難しい。(中略)瑞々しい老化は悪いもんじゃない。

救われるし、モチベーションを貰える。草の根活動したり、現状の問題を扱ったりする、著者の身近な面を感じた文だった。ある意味ビジネス書的かもしれない

まっさら感を劣等感にしないのは難しいです。本当に。

社会批評性を持つ表現がアートというよりはSNSエンタメ化している。(中略)(アートを古めの価値観で評することについて)その先にあるのはリテラシーの向上じゃなくてただの対立だろう。

最近感じていたこんがらがり具合がすっきりした。目を向けて欲しい、くらいのリテラシーを煽る表現が、リテラシーは当然と思っている人から立場を問われて、炎上や対立を引き起こす。なるほどな。

親世代と話すと特にネットメディアではリテラシーの差を感じるし、対象が限定できないSNSではこの話が問題になっているんだなと思う


この本を読んで、少し先が読めるようになったか。

著者が見ている風景にはおそらく追い付けない。その速度の差はありありと感じるので。

でも、何歩も先を見ている著者の、先を見る思考法は垣間見えたと思う。

だから今は納得して、これは半歩先を読む思考法について書かれた本だったんだと思う


p.s.
知識が追い付かない部分が度々あったので、「魔法の世紀」と「デジタルネイチャー」も読んでみようと本屋へ。

二冊で5000円した。知識欲で破産を誘うな。

既に著者の文章にドはまりしているものの、流石に買えず断念。

その後図書館で借りてきました。図書館ばんざい。

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