色んなチャンネルの話ほか13
前回はnoteからの毎週更新おめでとうの通知に喜んで毎週書いていくのもいいなとか言ってたのに、今度は更新してないけど大丈夫ですかの通知、というかメールが来た。忘れてません、メモはどうせ一緒だから書き溜めてたんです。通知で慌てて更新しようとしてるあたり、結局運営さんにペースを作ってもらってる。今回もゴリゴリです。貯めた分の半分くらいを一旦投稿します。いっこずつが短いから読み進めちゃうかもしれないけどむしろできるだけゆっくり読んでもらえたらと思います。
色んなチャンネルがある。
このノリの中ならこれは笑えるし、あっちのノリの中ではマジで怒られる、だけどどっちも真、みたいな。一人でいる時間が長すぎたり、逆に集団生活のなかでストレスがかかり続けるとついたったひとつの正解みたいなもんがあると信じるモードに入り込みがちだけど、どれが一番いいのかということよりも、色んなチャンネルがあり、あれとあれは嫌いで、これとこれとこれはおれは楽しめる、ということの方が真実に近いと思う。ただし俯瞰したつもりになるのがダメ、常に没入していられるのがいったんはベスト、だけどこれも難しい。俯瞰しようとすると結局いちばん正しそうに見えるところ以外はダメというふうにしかならない。いったん目指してみることも必要だとは思うけど、中庸は実現しない。
自分のあり方を定義していったり、時々見直してみたり、全く気にしないで流れるように生きていける人が羨ましくなったり、しかしどの瞬間も恒常的な自分の一部だとか、もしくは反対に全部が一時的な状態であると考えるようにして、芯みたいなものを求めすぎないほうが結局素直な落ち着くポイントに敏感になれる気がする。
この時もまた、直感が熟考を凌駕していたりする。直感が必ず正しいのではなく、時間をかけた熟考の結果が結局直感通りだったということが起こりうる、という意味。
n回目の言い訳
よくわからないこととかできないことへの防衛的言い訳から発展した自分の中の思考体系をいったん全部排除したいんだけど、たぶんそれが実現したら人生のほとんどの記憶を喪失した人みたいになると思う。
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全思索と、詩作のための散文
全思索、としたのは表現としてまとめ上げた形ではないもの、生活する中で鼻先を掠めた言葉をとりあえずメモしただけのものもそのまま掲載していく方…
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