「あしたふとうたべたよね」
5才になり、お子は言葉も流ちょうになってきたと先日書いたが、言い間違いもある。私のお気に入りは「あしたふとうたべたよね」だ。
「きのう」「きょう」「あした」のどれがどれを指すのか、お子はいまいち分からないらしい。「きのう」を「あした」というのはお子がよくやる間違いだ。反対に「あした」を「きのう」と言うこともある。
発語が今よりたどたどしかった2~3才の頃と変わらず微笑ましいが、その頃と違うのは、私が間違いをきちんと訂正することだ。
以前は間違いが可愛いらしいのもあって「そのうち自分で学習するだろう」と訂正せずに気長な気持ちでそのままにしていた。来年には小学生という事実が無意識に私の心を引き締めているのだろう。
「明日じゃなくて昨日だよ。昨日お豆腐食べたね。おいしかったよね」私たちはよくこういう会話をする。
「どうしたしまして」も私のお気に入りだ。
スーパーでお子がねだったお菓子を買って帰った日のこと。帰宅するとお子が「おかしかってくれてありがとう」と言う。「どういたまして」とクレヨンしんちゃんばりに私がおどけると、「ちがうよ。『どうしたしまして』だよ」とすかさずお子は言う。それも間違っているが、私の誤りを訂正するようになったところに成長を感じる。
逆の立場もよくある。
たとえばお風呂上りにドライヤーをしているときのこと。お子の髪の毛を先に乾かし終わり、自分で自分の髪の毛を乾かしていると、私はいつも携帯電話が気になってくる。そこでお子に頼むのだ。「ママのスマホ、持ってきてくれない?」
お子は何をしていてもたいてい持ってきてくれる。優しい。そういうときに私が「ありがとう」といい、お子は「どうしたしまして」という。
「ありがとう」「どういたしまして」と同じくらいの頻度で私たちの会話に登場するのは「ごめんね」だ。
休日を自宅で思い思いに過ごしていたときのこと、ふいにお子が私のところに絵本を持ってやってきた。「ママ、えほんやぶってしまった、ごめんね、わざとじゃないよ」
思わず、私は胸を打たれた。こんなに素直な「ごめんね」がこの世にあるだろうか。「わざとじゃなかったんだね。あとでテープでつけようね」こう返しながら、お子と絵本を優しくなでたくなった。
「ごめんね」は本来こんな風に人を優しい気持ちにさせる魔法の言葉なのかもしれない。私もお子のように率直に「ありがとう」といい、「ごめんね」といって生きたい。お子と二人、何歳になっても「ありがとう」「ごめんね」を素直に言い合える間柄でありたい。
私にとって、こんな風に「ごめんね」「ありがとう」を言い合える相手はお子がはじめてかもしれない。いつだってお子は私に大きな贈り物をくれるのだ。
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