高校時代に、「何のためにやるのか」という問いを理解できてよかったと思う。
高校時代といえば、勉強と部活、ときどき恋愛ぐらいな生活だった気がする。古い友人たちからの異論は認めない、うん、認めない。
そんな私は小学生の頃からサッカーをしていたので、中学校もサッカーをして、高校もサッカー部に入った。
ただ一つ、誤算があったとすれば、進学校で適当にサークル感覚でサッカーをしようと思っていたら、想像以上にガチな部活だったことだ。
県内でも有名な先生が教えてくれていた。
これは後に、ものすごく自分自分自身の資産になるわけですが。
小学校、中学校とサッカー部のキャプテンを務めさせていただいたことも関係あるのかないのか、高校2年生の時に、ありがたいことにキャプテンに任命された。
ありがたい… 本当に、圧倒的感謝である。
とはいえ、順風満帆なチームではなくて、世代交代をしてすぐの試合では、まだ3年生が残ってるチームにコテンパにやられた。
その相手チームは確か、その年に全国に行ったと思う。
レベルの違いを感じた。
さらに、僕が通っていた学校は進学校なので、勉強もハードにこなしている。勉強と部活の両立とはよく言ったもので、結構きつい。
移動時間も単語帳を開いて勉強してるのは当たり前だし、部活後は塾か図書館に行って勉強、という感じ。
もちろん、テスト前じゃなければそこまで切羽詰まってなかったけど。
そんなある日、チーム全体、練習に身が入っていないことがあった。
なんとなくみんな覇気がないし、全然声も出ていない。
これはまずいと感じていた矢先、先生から集合がかかった。
怒鳴られるのかなと思っていたけど、先生は怒鳴らない。
「君たちは何のためにわざわざサッカーをしにグラウンドに来てるのか。進学校なんだから、勉強していた方が自分のためにもなるし、いいじゃないか。なぜサッカーをするのか。そこをもう一度考えてみなさい。」
と、そう仰った。
恥ずかしい話、そこまで言われないと、自分がなぜサッカーをしていたのか分からなかった。
小学生の時は、ただ単純に楽しいという感情でサッカーをしていたかもしれない。
でも初めて、確かに勉強していた方が身のためかもしれないと思った。
その時初めて、なぜサッカーをするのか。時間をかけてまでグラウンドに来るのか、を真剣に考えた。
その思考が今でも役に立っている。
僕がわざわざ高校時代の時間を、勉強時間を削ってでもサッカーをやりたかった理由は、やっぱり本気でサッカーに臨むチームのみんなと、勝ちたいと思っていたから。
さらに、そんな本気で打ち込むメンバーを応援してくれているマネージャー、先生、保護者、みんなのために勝ちたいと思った。
だから、腹を括った。
なぜやるのか?を自分の頭で考えて、理解して、心に染み込ませると、あとは突き進むのみである。
そこからチームの雰囲気も変わったと思う。
「自分たちはなぜ、わざわざ部活でサッカーをするのか」
ここが明確になってからは、練習に打ち込む意識が変わったと思う。
在学中に全国大会に行くみたいな、めちゃくちゃ良い成績は残せなかったけど、毎年参加してる大会では、歴代でもトップクラスの成績を残せたし、リーグ戦も好成績で終えた。
スポーツのトップ指導者とお話を聞いていると、哲学者だと感じることが多い。日本代表の監督も務めた、岡田監督や、オシム監督、お二人の考えが好きだ。
でも、高校時代の先生もすごく尊敬してる。哲学者だなと思ってる。今でもときどき連絡を取らせていただくが、すごい。
指導者は、サッカーを教えているのではなく、人生で大切なことを教えている。
その期間の一時的な効果を見るのではなくて、人生を通して大事なことを伝えてくれる。
そして、そんな自分の人生に影響を与えてくれた先生は、現在ラオスで次世代のサッカープレイヤーたちの指導にあたっている。
高校を定年退職された後に、ラオスサッカー協会からお声がかかるってなんて人なんだと思いながら…
僕はやっぱり人に恵まれて成長してきたんだと思う。
ありがたい。
そんな高校時代を振り返りながら、今日も今日とて「なぜやるのか」を考えるのでした。
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