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【誰か】になりたいボーイ

「奥田民生になりたいボーイ」があった気がするが、内容はよく覚えていない。響きはすごく覚えている。


僕は、自分が事務局長を務めるNPOで毎週1~2時間程度、大学生スタッフと話すようにしている。


今抱えている仕事の話から、将来の話まで、色んな話をすることがある。


今日は特に、将来のことについて話した。


うちのNPO法人学生ネットワークWANは、とにかく世の中にまだない新しい価値を創造して行くことを積極的にやっているので、時々、プロジェクトの意味や目的を見失う学生も多かったりする。


そんな時、組織やプロジェクトが持っている意味も大事だけど、そもそも自分自身の目指すもの・ビジョンやゴール、生きている意味が大事なんだと思う、と伝えた。


ここがしっかりしていないと、社会人になってからも、結局のところは「組織が目指しているところが分からない」「社長や上司の意図が分からない」「この仕事の意味がわからない」となってしまう。


もちろん、経営者やマネージャーの役割として、意味をしっかり説明することは責任ではあるけど、新しいことをする時には、非常に抽象的で、言語化するのも難しい時もあったりする。


それと、そもそも「生きる意味」は他人から与えられるものでもない。生きる上で、働くのであれば、仕事の意味を自分で見つけれるようになっていた方が、僕は将来的にプラスだと思っている。


そんな話をしながら、では自分自身の生きる意味や働く目的、そこまで一生懸命にプロジェクトに取り組む意味はなんなのか?と考えると、


【誰か】なりたい


というものだった。


「何者かになりたい」


訳ではない。


この【誰か】というのは、何かあった時に、「誰かがどうにかしてくれるだろう」と、願った時の【誰か】である。


日本という、課題先進国において、これから何が起こるか予測できないことも多い。少子高齢化の問題の他にも、今回みたいなパンデミック、水害、地震などの災害も起きる可能性も大きい。


そんな、予測ができない未来に対して、自分で動かねば!と思う人もいれば、「誰かがなんとかしてくれるだろう」「なんとかなるだろう」と思っている人も多いと思う。


どっちが良いとか悪いとかを言いたい訳ではない。もちろん、自分が動かねば!と思う人が多いに越したことないけど。


でも周りを見渡せば、そんな人は少数であることに気付く。


何かあった時に、困る人は大勢出てくる。


そんな時、「誰かがなんとかしてくれるだろう」の【誰か】がいない限り、救える命も救えないかもしれない。


自分は、世界の主人公なんだと思う必要はあると思う。


世界の当事者であるという認識を持つ重要性はより訴えていきたいが、それでも持てない人もいる。


自己責任論で片付けるのも簡単だけど、それでもやっぱりみんな救いたい。


だからこそ、そんな人たちの【誰か】になりたいと思う。

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