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スイスで介護ヘルパー!その18「少女のようだったフーバーさん(第三話)」#入居者さんの思い出

(第二話からの続き) 


地球の引力にまかせた歩き方


 昼食が終わると、順にお部屋へとお連れする。お昼寝をする人が多いからだが、午後のお茶の時間まではお部屋でゆっくりするという人もいて、フーバーさんもそうだった。
 
 最後には車椅子になったけれど、初めてお会いした頃はまだ歩行器を押して歩いていた。フーバーさんの歩行器をお席のそばまで持ってきて、椅子の向きを変えてポジションを整え、両手はハンドルを握ってもらってから起立となる。その際にズボンの後ろを持ったり片腕を組んだりして上に持ち上げるか、後ろから背中を押して勢いをつけてあげる。歩行器のブレーキを解除したら、歩行開始。廊下を一緒に歩いて、「お食事はどうでしたか」などと話しながらお部屋まで行く。
 
 フーバーさんは背中が曲がっているというより、体全体が縮こまっているという印象。細い足をそろり、そろりと前に出して歩いていた。
 私はフーバーさんと共に、お年寄りと一緒に歩く歩き方を身につけたようなものだ。つまりゆっくり、ゆっくり歩みを進める歩き方。

 ふだんの私は、重力をどんどん前方へ移動させて飛ぶように歩いているけれど、お年寄りと歩く際は重力を下に置いたまま、地球の引力に身を任せたまま、足だけを前に出している。その結果、体も前に移動するといった感じ。つまり入居者さんと歩くときは、普段とはまったく違う歩き方なのだ。相手のペースに合わせるというと簡単なように聞こえるが、自分の足の運び方さえ変えていることに気づく。
 
 お部屋に入る前に、ノックをしてからドアを開けることが大原則。例外は、お部屋にいないと知っているとき、その人と一緒にお部屋に入るとき(当然か)。なのに私はいつもの癖で、そういう時さえノックしてしまうことがあるのだ。もう自動的に手が動いてしまう。
 あるとき、フーバーさんをお部屋までお連れしてドアを開ける前、また例によってノックしてしまった。そこでフーバーさんが大真面目に「私はここにいる」と言ったことを思い出す。
 

ミュージアムのようなお部屋

 フーバーさんのお部屋は、なんとも居心地が良かった。アンティーク調の、センスの良い木目家具。何やら変わった形の椅子のいくつか。本棚には古い小説や、様々な大きさの画集。壁にはモダンな絵画がいくつか飾られていた。

 そしてベッドの横の壁には、白黒の写真をいくつかコラージュして入れた巨大なフレームがかかっていたが、いちばん大きい写真はご自身の若い頃のものだった。ちょっとななめに構え、考えるようなポーズをとっているが、なんとも可憐な、繊細な少女なのだ(実際は成人してから撮影されたものだが、可憐さを失っていなかった)。シワがなかった頃のフーバーさんのお写真を、私は何度も眺めては感じ入っていた。

 フレームには当然、パートナーの写真も入っていた。結婚はしておらず、子どもも作らず、ただ同棲していたお相手なのだが、彼が亡くなった後はずっとおひとりだった。彼はアーチストで、壁にかけられた作品の数々はこの彼の手によるものだが、ごめんなさい、私の中に、このパートナーのお顔がどうだったか、記憶がまったくない。フレームの中には彼のお名前さえ書いてあって、この名前は憶えているというのに。フーバーさんご本人の写真の印象があまりに強くて、残りはすべてかすんでしまったかのようだ。きっと美しい風景や、二人で撮った写真などが貼ってあったと思うのに。
 
 フーバーさんのお部屋は中庭に面していて、ベランダがあった。実はこの施設は、ある有名な建築士が設計した建物で、デザインが非常に変わっている。この介護付き有料老人ホームは、ひとつひとつの部屋の構造が違うのだ。広さ、形、バスルームの位置、窓の配置、大きさ、数などがそれぞれ違う。そして中庭側の部屋は、ベランダ付きなのでお値段が高い。

この私が、アートについて語る


 フーバーさんはベランダに、小さい木のテーブルと椅子2脚を置いていた。午後はこの椅子に座って、時を過ごすことが多かった。その際に必ず、本を一冊持っていく。
 本を選ぶという、この名誉ある任務を私はたびたび仰せつかっていた。「今日は画集が見たいわ」と言われ、「じゃあモネなんかどうですか」などと言いながら、かなり大きくて重たい画集を取り出し、か細い腕をしたフーバーさんにお渡しする。

 実をいうと私は、アートはほとんど解らない。旅行中も美術館に行こうとは思わず、もっぱら食べる方に興味がある人間である。
 なのにフーバーさんといると、アートの話さえ自然にできた。私が持っている数少ない知識を持ってしても、劣等感なく、興味深い会話を楽しめた。
 フーバーさんが私の低いレベルに合わせてくれたのかもしれないが、それを申し訳なく思うことなく、ごく自然に話せたのがなんとも不思議である。

 今ここに、当時の会話を再現することはもうできない。でもあのときの感覚だけは、まだ覚えている。話だけでなく、2人で一緒に画集を眺めたりしたのだ。フーバーさんと一緒にページをめくり、絵の感想など言い合いながら、こんな時がずっと続けばいいなあと思うほど、心地よかった。
 

ずっしり重たいベル


 部屋で何かあってヘルプが必要なとき、普通はナースコールとして、赤いボタンを押してもらう。ボタンは壁のコードから伸びていて、ベッドの手すりに掛けてあるもの、部屋を入ってすぐのドアの横の壁にあるものと2つあって、さらにバスルームの上から垂れた紐を引っぱっても呼び出すことができる。

 フーバーさんはこの3つ以外に、さらにもうひとつあった。ベランダにいる時の呼び出し用に、青銅でできたベルをテーブルに置いていた。スイスで放牧されている牛がつけるカウベルを思い出させるような、重たくて、実用的ではないベルなのだが、風情はある。「肌寒くなってきたから、もう部屋に入りたい」といった時に、このベルで呼び出すことになっていた。
 が、実際に使用されたことはほとんどない。そろそろ入りたいんじゃないかな?と思うと、呼ばれていなくても私たちはよくお部屋を見に行っていたからである。

 フーバーさんは本を広げたまま、ベランダで居眠りをしていることが多かった。(第三話に続く)

おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。
 

神奈川県→イタリア→英国スコットランド→スイス。引っ越し回数30回以上、転職も30回以上(バイトを含む)。イタリア語を学んだ後、日本語教師、ライター、介護ヘルパー。趣味は読むこと書くこと、ウォーキング、ヨガ、旅行、折り紙、ピッコロ。現在スイスのバーゼル近郊に長女と2人暮らし。