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スイスで介護ヘルパー!その9「100歳をすぎて安楽死の機会を与えられ、ベルガーさんは…(後編)」#入居者さんの思い出

(前編からの続き)


とうとう老いを感じ始めたベルガーさん


 101歳のお誕生日が近づくころ、ベルガーさんは急に物忘れが激しくなった。朝食を食べたことを忘れる、歯みがきをしない、わけもなく怒り出す。7時に飛び起きることもなくなり、いつのまにか午後のお昼寝が日課になっていた。

 もう年だ、目が見えない、足が痛いとぼやくベルガーさんに、困惑した私は内心思った「100歳を過ぎて、そんなこと言われても…。いやいや、これでも他の入居者さんより、よっぽど充実した毎日を送ってるように見えるんですけど!」。 

 娘さんが寂しそうに微笑んで、「最近、特に物忘れが激しくなってきたからね。もういいでしょう」と言ってきたこともある。何と答えたらいいのか、見当もつかなかった。
 

ここまで来て、安楽死!?


 そんな中、ある朝のミーティングのこと。
 ベルガーさんがエグジット(安楽死のための自殺ほう助団体)に登録していることは知っていたが、なんと前日になって急に、翌日の10時に自殺ほう助を受けられることになったと連絡があったというのだ。
 つまり、朝のミーティングから3時間後である。

 なんとも急な話。けれどご本人は、最近になって状態が悪化してから娘さんを通じて団体に連絡し、面接を済ませ、すでに同意書にサインをしていたのだった。 
 10時には家族と担当医師が来て、その後の確認のために警察も来ることになっている。あとは本人が、自分の手で致死薬(液体)を口に入れ服用すれば、完了・・・。
 
 私はベルガーさんが、エグジットでなく自然死することをぼんやりと想像していた。だから、心の準備ができていなかった。
 普通は死期が近づくと、食欲がなくなる、起き上がれなくなる、話せなくなる等の変化が現れる。それを受けてターミナルケア(終末期医療)に入り、初めて私たち職員も、その人の死が近づいたことを徐々に受け入れていくのだ。
 
 エグジット登録者は、ベルガーさんが初めてではない。5年前に入社して以来、該当者は2名いた。
 けれどお二人とも、もはや自分では排泄できないとか、回復の見込みがない、というケースである(実際は登録していなくても、終末期に達した時点で9割方がターミナルケアに移行し、尊厳死に至る。どうやらスイスは日本とだいぶ事情が違うようなので、これについては、また改めて書く予定)。
 

ベルガーさんとチェス対戦


 100歳を過ぎれば、あえてそんなことしなくても、早かれ遅かれ老衰ではないだろうか。入居者の死亡にはすでにそれほど動揺しなくなっている私だが、今回は珍しく、大きなショックを受けた。
 ついおとといも、ベルガーさんとゲーム対戦したばかりなのに!

 ベルガーさんはチェスが好きで、よく共同スペースのテーブルで娘さんと対戦していた。時々、まちがって娘さんのコマをすすめてしまうのはご愛敬。昔チェスをかじったことのある私も、ベルガーさんに教えてもらって対戦するようになった。
 また4ゲヴィントというオセロに似たゲームも、私たちはよくやった。初めの頃はベルガーさんが連勝していたのに、いつのまにか私が勝ってしまうようになった。自分の不注意を嘆き、テーブルをたたいて悔しがる。
 でも勝つと、細い目をますます細くしてくすっと笑う。そしてまたコマを出し、二人で延々と対戦をくりかえす。どこかの部屋のナースコールが鳴って私が席を外すと、ベルガーさんは次の手を考えながら、おとなしく待っていてくれる。

 ベルガーさんなら、まだまだ人生を楽しむことができるのに!

 私はその日、ベルガーさんの担当ではなかったが、朝食中の彼のところへ行って、できるだけ自然に、いつも通りに挨拶した。10時に何が起こるか、知っていたのだろうか。

 お昼前、娘さんがオフィスから出てくるのが見えた。それが涙目だったので、私は目の前が真っ暗になった。
 今、よりによってベルガーさんが亡くなったら、これほど不条理なことはない! 

 安楽死って何だろう。ベルガーさんは、本当に今、この時の死を望んでいたのだろうか?
 

娘さんの、涙の謎


 ところがである。お昼になると、ベルガーさんがいつものように食堂にやってきたではないか!
 私は駆け寄っていって挨拶した。その後、オフィスに行って同僚たちに聞いてみた。

 なんとベルガーさんは、服用を拒否したのだった! そして娘さんの涙は、想定外の展開に腹を立てた上での涙だったという。
 ちょっと不可解な話で、同僚たちも首をかしげていた。

 なんでも前日のビンゴ大会で、ベルガーさんは見事に優勝したのだそうだ。だから、やっぱりまだ死ねないと思ったんだろうというのは、同僚の意見。

 とにかく、まだまだ正常なベルガーさんの判断力が私は嬉しかった。その日の午後も手が空いたので、ベルガーさんとゲームをして過ごした。
 

100歳で大往生


 それから数か月後に、ベルガーさんは自然死を遂げた。娘さんは、さっぱりとした表情で片付けをしていた。 

 そして私自身も、エグジット事件のあの日よりはずっとショックが少なかった。ベルガーさんは立派に天寿をまっとうしたのだという、静かな気持ちで彼の死を受け止めることができたから。
 

おじいちゃんのようだったベルガーさん


 ところでスイス人は、あくまでも礼儀正しい国民である。時には親愛の情を示しながらも、常に一定の距離を保っていることが多い。入居者の方々はみんな、私たち介護職員に敬語で話す。私が記事の中で書いている会話も、自然な日本語になるよう心がけているのだが、実際のドイツ語では敬語(ですます調の丁寧語)。北杜夫が言うところの、「あなた」と「お前」である(例外:認知症がかなり進むと、馴れ馴れしく話してくる場合が多くなる。が、軽度の認知症ならまず敬語)。 

 そんな中ベルガーさんは、珍しく「敬語を使わずに私と話してくれる入居者さん」だったと今になって気づいた。祖父を知らない私にとって、まるで「おじいちゃん」のような存在だった。(おわり)

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おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。

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