未来の自分が会いにきた キャリアプランの魔法
30年前に新卒で入社した会社でわかめさんは働いている。
53歳だ。
会社は社内結婚した人が多いけど、わかめさんは結婚していない。会社と家を往復する生活。ローンを組んで買った芝浦のマンションでひとり暮らしだ。
テレビは最新のシャープ製。テレビで紹介されていた。家電芸人と呼ばれる出演者をテレビ局の外で待って、自社製品の扇風機を渡す。サンプルに渡した扇風機を番組で紹介してもらうのが狙い。バルミューダの社長の成功ストーリー。
「成功ストーリーはいいね」
ひとりごとを言って、奮発したカッシーナのダイニングテーブルで好きなパイの実をつまむ。テレビを見る。職場に配属された新入社員は「テレビを持っていない」と言っていたっけ。
子どものころはちゃぶ台で食卓を囲んでいた。誰かが食器を倒して「ふきん持ってきて」と騒々しい。チャンネルを手でひねるテレビ。金曜日の夜は野生の王国とプロレスを観た。さえない暮らしがいやだったな。
いやだったけど、家族と過ごしたことをよく思い出す。
65歳まで会社にいられそうだから生活はしていける。あと12年は会社で穏便に過ごしたい。つまらない仕事だけどね、仕方ない。
今日も昨日とおなじことを考える。
「あ!」ダイニングテーブルに敷いたセンタークロスにケチャップのシミ。さっき食べたチキンライスをこぼしたのか。近頃よくこぼす。
クロスを手前に引っ張ったら体勢を崩して椅子ごと倒れた……
ピーポーピーポー
遠くから救急車の音が近づく。
ガチャン「イチニーノーサン」ってかけ声。
医療現場のドラマみたい。
わたし、ストレッチャーに乗せられた?
「わかめおばちゃん、わかめおばちゃん」甥っ子の声がする。
え? 「もしかして、わたし死んじゃうの?」
そんなのイヤ! 絶対イヤ!やりたいことはいっぱいあったのよ。
出雲大社に縁結びのお願いに行きたかったし、ヨーロッパの美術館にも行ってみたかった。「旅行しない?」って友だちの花子が誘ってくれるのをいつも待っていた。
ひとりでだって旅行に行けたはず。行かなかったのはわたしだ。
わたしの人生がこれで終わるなんてイヤ。こんなはずじゃない。
そうだ、わたしの口癖って「こんなはずじゃなかった」かも。
ドアの前でロボコンに似たケチャップのような赤い服を着たひとに声をかけられる。
「わかめさんですね?」「ここに乗って、シートベルトをしてください」
UFOのカタチをした小さな乗り物にうながされる。
「え? なに?」
頭はズキズキするけど、まだ生きている。
ロボコンが乗り物のパネルを操作する。
「ピピピ」「1998/8/28」
「わかめさん。あなたの口癖『こんなはずじゃなかった』が9,999万回を超えましたので、過去に戻す決定がされました。25年前に戻す決定通知書です」
タブレットでそれらしき文言を見せられる。
「不服申立てはできません。ちなみに今回の費用についてはあなたの亡くなられたご両親が負担しています。どうか有意義に使ってください」
ロボコンはあきれたように言う。
「なんでも自分で選択できたはずです。自分の人生は自分で責任を持ち『こんなはずじゃなかった』と言わない人生を手に入れてください」
「それでは、行ってらっしゃい」
ロボコンがにこやかに手を振る。
あそこのキャストくらいの笑顔だ。ウィーン
・披露宴(崎陽軒本店)
「1998/8/28」
25年前に戻ったわかめさんは、横浜駅前の崎陽軒で同期の結婚式に出席している。ここはケーキ入刀ではなく「シウマイ入刀」
大きなシウマイを新郎新婦がナイフを入れると、あのお弁当に入っているサイズのシウマイがゴロゴロ出てくるのだ。
盛り上がる会場。すごいな。横浜大好きなふたりだからこその崎陽軒推しはさすが。
おなじテーブルにはこれから結婚する人たちがいて「こういうのいいね」と手作りの席札を見て結婚式の準備話をしている。
「ねぇわかめ、このあとみんなでお茶しようって言ってるんだけど」隣の席のかおりが小さい声で言った。
この「話がついている」感じが苦手。
声をかけてくれるときに「来たかったら来て」「別に来なくてもいいけど」と心の声をひろってしまうのだ。
花子は「わかめは被害妄想すぎ」というのだけど。
「このあとも結婚式なの」と断った。
嘘じゃない本当。
夕方、竹芝桟橋から出航するヴァンテアン号で、学生時代の友人の結婚式。そう、ダブルヘッダー。崎陽軒から「飛び出し」なんて人気芸人みたい。
崎陽軒の引き出物袋を持って、ポルタの階段を駆けあがる。東横線渋谷駅について階段をおりながら、このころ、将来が不安だったことを思い出す。
なんか変な感じ。
「こんなはずじゃなかった」と言わない人生。わたしにできるだろうか。
でも、もしやり直せたらわたしはどんな選択をするのだろう。
・披露宴(ヴァンテアン号)
ヴァンテアン号の新婦は少し前に仕事を辞めた。新郎の地方転勤についていくためだ。ここでの彼女は幸せいっぱいだったと思う。でものちに離婚した。その後連絡はない。
25年後の世界なら、彼女は好きだった仕事を辞めただろうか。
単身赴任や別居婚が当然。夫の一歩うしろを歩く妻が美徳の時代ではない。美徳は「黒歴史」「モラハラ」呼ばわりされている。
カルテットの生演奏を聴いていた。揺れる船に酔ったのか、シャンパンを飲みすぎたのか、途中から記憶がない。
どうやって帰ったのか。
25年前に住んでいたのはどこだっけ……
留守電ランプが点滅している。
ピー「集合ポストの前にあった紙袋2つをドアの前に置きました」ってマンションの管理人から伝言メッセージ。宮崎台に住んでたんだ。
袋の結婚式の席次表でわかったのか。管理人さんは察知力がすごい。
引き出物の袋をみる。工夫をこらしたバウムクーヘンもかまわぬの手ぬぐいもオシャレだ。来月も結婚式が続くけど、自分は結婚のけの字もない。
ベッドで横になって天井を見る。天井の木材がムンクの顔に見えた。
病院で目が覚めた。
甥っ子がのぞきこむ。「わかめおばちゃん大丈夫?」「 会社のひとから、○○さんのリフォーム工事のことと、イタリア出張をリスケしたって」
「え?」
「あと、明日同行ショッピングはキャンセルしておいたよ」
「え?」
「CT造影検査のあと意識がなくなったんだよ。びっくりした。近くでよかった。ちょうど東工大へ仕事で来てたんだ。」
53歳のわたしは、リフォーム会社でインテリアコーディネーターをしている。らしい。
やり手の美人社長が、団地を一棟買いして、テーマ別にリノベーションした展示場がウケて会社は急上昇した。
インテリア部門の責任者になって好きな家具に囲まれる。
ちゃぶ台で食事をしたり、チャンネルを手でひねったりした子どものころに憧れていた世界。
カラーセラピストや色彩検定の資格もとって、エグゼクティブ専門のファッションコーディネーターの副業もしてる。
おかっぱ頭で母の手縫いの服を着ていたころから憧れだった仕事だ。
病院で見た夢はなんだったのだろう。
もしかしたら25年前に戻って「こんなはずじゃなかった」と言わないように生きてきたのかも。たいていのことはなんとかなるって知ってたから。
好きなことをした方がいいってこともわかってた。これからのわたしも好きなところで好きな仕事をして生きていく。