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食へのアプローチは、より上のステージへ。

こんにちは。フードスコーレ校長の平井です。

今日は、「食へのアプローチ」について書きたいと思います。「食へのアプローチ」というのは、自分がどういう考えで食に向き合っているのか?というもので、フードスコーレの中で最近よくつかう言葉です。

食へのアプローチ
・毎日の食事をどうやって取るか。(自炊、家族の誰かがつくってくれる、外食、UberEats とか)

・どういう飲食店で食べるか。(美味しいと評判のお店、食材にこだわったお店、健康志向のお店、近所で行きやすいお店、とにかく提供が早いお店 とか)

・食材の手に入れ方と選び方。(近所のスーパーで、安いもの優先、地産地消、田舎から送られてくる とか)

ここに書いたことはプライベート的な視点ですが、食関係の仕事をされている人は、別角度で書き足されることがあるでしょうし、親の立場であれば自分の子供を思う視点も入ってきますよね。

つまり食へのアプローチは人それぞれ、十人十色。また同じ人でも、年齢や立場や環境が変わると食へのアプローチにも変化が出てくると思います。

『その人が何を食べてきたかわかれば、その人が何者かわかる』

なんてことを誰かが言っていたような、言っていないような。いつもながら適当すぎる。…でもこれ、結構わかるんです。

食べることは身体をつくるだけじゃなくて、思考や性格、雰囲気にまで影響を及ぼしている気がします。何を食べてきたかという「食歴」は、その人の哲学というか人生観そのものではないでしょうか。

話を戻して、食へのアプローチについて。これにはヒトが生まれてからの時代ごとに中心となるステージがあると思っています。下にあるのはフードスコーレが思う、「人の食へのアプローチステージ」を図にしたものです。ちなみにフレデリック・ラルーの書いた『ティール組織』を読んだ方は、この本に出てくる人類のパラダイムに関する発達段階をイメージしてもらえるとわかりやすいかもです。

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どの時代でもその時代を生きる人たちの中で、「自分がどんなアプローチをしてきたか」は、いろんなステージに分かれますが、大きな分け方をすると、つぎのようになると考えます。

◯自己中心ステージ
社会への影響(特に悪影響)を考えずに自分の食べたいものを好きなように食べているジコチューな人を、一番下のステージに置いています。ルールを超えて法律を犯して食にありつく人。歴史を遡ると、人類が誕生してから法治国家が築かれるまでの長い間は、こういった人が世の中にたくさんいたと思いますが、現代ではあまりいないステージになります。

◯所属・安定ステージ
自己中心のひとつ上のステージ。ここには一定のルールの中で、食べものを手に入れる人が入ります。階層構造の中で与えられた範囲内のものを食べる。もっと食べたい、違うものが食べたいという欲が必ずしも満たされるとは限りませんが、計画性を持った社会構造であるため、自力でゼロから食べものを調達するよりは、安定して食べものにありつける安心感は下のステージよりは高いです。

◯大量生産・大量消費・所有ステージ
技術発展によって、食べものの効率的な生産や供給、そして保存が可能になります。現代を生きる人の多くは、このステージを経験しています。食とビジネスの結びつきがより強くなり、食がファッション化されています。商品棚にはいつでも商品が埋まっていることが当たり前。飲食店では品切れのメニューがないようにコストとのバランスを見ながら仕込み量を最大限多くします。フードロスよりもチャンスロスが生まれないことが優先されます。

◯文化重視・エゴからの開放ステージ
世界で暮らす人々の多様な価値感を受け入れ、環境に影響されない平等性をもって食に向き合うステージ。ここではジコチューな考えは排除され、コミュニティ単位で食を共有するシステムがつくられます。


ここまで見ますと、国や地域によって違いますが今の日本では、下から3番目の「大量生産・大量消費・所有のステージ」が慣習としてあって、一番多くの人が該当していると思います。

つぎに「所属・安定ステージ」に該当する人が多いのかなと思います。自分たちで勝手につくった概念なのでデータも何もないので肌感でしかないですが。

そして自分の周りでは、いよいよ「文化重視・エゴからの開放ステージ」の人たちが、ぴょこぴょこと出はじめています。

上のステージにいるから「あんたはエラい!」とかではないのですが、歴史をみてもわかるように、人の意識や行動は時代とともに変わっていくものなので、食へのアプローチに関しても、ステージはどんどん上へ上へと移っていくはずです。人によってそのスピードは変わりますが。

そしてより上のステージを大切にする人が増えてくる以上、考えなければならないのは、「文化重視・エゴからの開放ステージ」のさらに上のステージのこと。そのステージでは、あらゆる生物の中でヒトだけが環境を壊しているという大前提のもと、ヒトが地球についてどう考えながらお腹を満たしていくのか。そんなことを考えるステージになります。

仕事や暮らしの環境の変化、自分自身の健康問題、そして世の中の環境問題。誰しもがこれらが要因となっていずれ何らかの形で「食へのアプローチ」とぶつかります。人は生物である以上、食べもののことからは逃げられません。

食へのアプローチをアップデートしたい。食のファッション化に正直冷めてきた。売上至上主義、大量生産大量消費という慣習に疑問を持ち始めた。暮らしと仕事の垣根を取っ払って全体論をもって食と向き合いたい。そんな人が増えていくんです、きっと。すでに現れ始めているし、それは若い人に多く見られます。

さらに上のステージ。どんなアプローチなんですかね。自分もまだはっきりとわかりません。だから考えています。答えはひとつじゃない。そもそも答えはないけど、だから考え続けなければならないんです。こういう食のことや環境・社会のことを考えるときに、悲観的にかんがえる人がいますが、それは絶対によくないです。片付かない問題を考えてもしようがない。考えているうちに寿命がくるから大丈夫です笑。ただ食に関しては自分で考えて責任持ちましょうよ、というふうには思います。

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