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今日のブルース③メンフィス・ミニー「わたしと運転手のブルース」(1941年)

わたしの運転手になってくれない?
わたしの運転手になってくれない?
あの人におまかせ
おまかせしたいの ダウンタウンまで運転を
とっても運転がお上手で わたしはあの人を拒めない

でも、わたしはいやなの あの人が
でも、わたしはいやなの あの人が
近所の女の子をのせて
近所の女の子をのせてドライブするなんて
そうなったらピストルを盗んで、運転手を撃ち殺す

そうね、あの人に買ってあげなくちゃ
そうね、あの人に買ってあげなくちゃ
最新型のV8フォード
最新型のV8フォードを
乗客の心配はしなくてもいいわよ わたしという荷物があるから
(さあ、持って行って)

わたしの運転手さんに
わたしの運転手さんに
あちこち連れて行って
世界中連れて行ってもらおっと
そしたら彼はわたしのかわいい坊や わたしは彼のもの


さて、第一回、第二回と男目線の下ネタが続き、先住民居留地の話で、ブルースが下ネタだけではないことをかろうじて示せたものの、このままでは「今日の下ネタ」あるいは、「スキモノ倶楽部」と名前を変更した方がいいと、お役所のどこかものすごーく暇な部署から勧告される日が来るかもしれない。しかし、下ネタ=バラエティ・ショー路線が気に入ってくださっている方もちらほらいるようなので、下ネタは維持しつつ、視線を女性に変えてみよう。

当然ながら、性的なものの受け取り方も表現の仕方も女性は男性とは全然違う。男性の下ネタは日常をぶち壊しかねない狂気である。ときによると、それは暴力的な様相を見せる。一方、女性の下ネタはむしろ、日常から少しずれた路線をなめらかに優しくすべっていく。男性は、女性が「むちゃくちゃにして」と言ったからと言って、男性的に解釈して、裸踊りなど踊ってはいけない。女性が求めているのは、芸術的な曲線で作られたローラーコースターにのせて、(もちろん)事故など起こさずに帰ってきて、ということなのである。誰も地獄へドライブなど望んではいないのだ。※追記 もちろん、これはLGBTの人たちを排除した乱暴な類型化である。ただ、ほとんどのブルースはそうした類型化を前提として歌われている。数は少ないが、ゲイやレズビアンのブルースも存在する。いずれこのコラムでとり上げたい。

メンフィス・ミニーはビッグ・バンドをバックに男性制作陣のつくった男目線の「グッとくる女」を歌う、いわいる「クラシック・ブルース」の女性歌手と違い、自らギターを弾き、オリジナルのブルースを歌って、男性ブルース歌手と渡りあった稀有な存在である。恋多き女としても知られ、何人ものブルース・マンと浮名を流した。同時代の黒人女性で言うと、ゾラ・ニール・ハーストンと並び称されるべき、カッコいい女性である。そのミニー姐さんの代表作のひとつが、「わたしと運転手のブルース」。前回も述べたように、馬にしろ車にしろ、ブルースに"ride"とか"drive"とかそんな言葉が出てきたら、まずセックスの話だと思って間違いない。この場合も、下ネタ認定◎である。

さて、ミニー姐さん。まず、のっけから、代名詞の使い方が絶妙。冒頭、気になる男性に「あなた、わたしの運転手になってくれない?」と"you"と二人称で直接呼びかけた姐御は、リスナーの方を振り返り、「彼にわたしの車を運転して欲しいの」という。こうして、登場人物のセリフの臨場感を保ちながら、物語上の出来事とそれを語る語り手を行き来する立体感のある舞台が立ち上がる。それをごく自然にやっているところがすごい。

※追記 この部分を中間話法的な用法としていたのは間違いです。お詫びして訂正します。訂正すると同時に別の考えが浮かんできた。”I wants him to drive me down town"の文で、主語が一人称単数にもかかわらず、動詞にsがついていること。欠落するのならともかく、標準英語ではつけないところにsを選択的に(つけるところとつけないところがある)加えるということになると、不注意ではなく、ある意図をもってのことということになる。もしかすると、語り手の「わたし」から見て登場人物の「わたし」が三人称であることを表しているのか?そうしたニュアンスが合意を持って受け止められているなら、この文はある意味、中間話法的な効果を持つことになりはしないか。黒人英語に関する本を読んで研究中。何かわかったら、コラムの追記の形で報告します。

フレーズの切り方も考え抜かれている。1コーラス目、"I wants him to drive me"で一度切ることで、リスナーは後に続く言葉を想像する。車の歌だから、車でどこかへ連れて行って欲しいと続きそうだが、恋の歌であってすれば、"drive me crazy"のような展開も考えられなくはない。どちらだろう?という緊張感はすぐに次の行で解消されるのだが、同じような演出は2コーラス目でも見られる。"I don't want him"でフレーズが切られており、リスナーは「わたしは彼が欲しくない」とも解釈できるその部分と、直前の"I can't turn him down"「彼を拒否できない」との矛盾に、笑顔で「き・ら・い」と言われたときのような眩暈を覚えそうになるが、すぐにそこには"to be riding these girls around"という続きがあり、「欲しくない」のは、彼は近所の女の子をのせてドライブすることだったことがわかる。

このように、ミニー姐さんの言葉はリスナーを翻弄するように、微妙なところまで計算しつくされている。彼女ができたんだよぉ―――と飛び回ってしまうオッサンとはだいぶ違う(連載①ウィリー・ブラウン「未来のブルース」参照)。このあたりの、持っていき方のなめらかさが、セックス観も含め、「女性らしさ」というものの正体なのかもしれない。

しかし、この歌のクライマックスはこのなめらかさが破られるところにある。調子にのった男が聞いてみたのかもしれない。「他の女の子とドライブなんかしたらどうなっちゃうのかなあ?なんて・・・」ときどきドキッとすることをいうものの、いつもは「あなたに運転手になってほしいの」なんてかわいくシナをつくっていた女が、突然表情を一変させる。「そんなことしたらあ・・・わたし・・・ピストル盗んで、撃ち殺すからなぁ!ゴルァアアアア」「ひいいいいい」

(恐ろしさのあまり気を失っていたのか、幾分の記憶の欠落有)・・・ああ、こわかった。あれ?いなくなっちゃった。おやっ、車もフォードの新車になってる。荷物があるからこれを持って行けってことかな?それにしても、彼女、どこに行っちゃったんだろう?ミニーちゃーん!・・・ミニー姐さんはピストルを持って、カバンのなか。「フフフ、わたしがいないからって、他の女をのせてごらんなさい。わたしの銃が火を噴くよっ!・・・あらっ?一人で戻ってきたようね。命拾いしたわね」

「あ、おかえりー」
「どこ行ってたの?探したんだよ」
「ごめんね。それよりわたし、あなたの運転でいろんなところに行ってみたーい」
「かわい~いなあ、まーかせて!」
車が二人をのせて走り出す。ミニー姐さんが後ろ手に隠したピストルがアップになって、Fin.

と、まあ、ぼくの解釈はこんな具合なのですが、みなさんはいかがでしょう。メンフィス・ミニー恐るべし。そして、彼の無事を祈りたい。

Won't you be my chauffeur
Won't you be my chauffeur
I wants him to drive me
I wants him to drive me downtown
Yes he drives so easy, I can't turn him down

But I don't want him
But I don't want him
To be ridin' these girls
To be ridin' these girls around
So I'm gonna steal me a pistol, shoot my chauffeur down

Well I must buy him
Well I must buy him
A brand new V8
A brand new V8 Ford
Then he won't need no passengers, I will be his load
(spoken: Yeah, take it away)
Going to let my chauffeur
Going to let my chauffeur
Drive me around the
Drive me around the world
Then he can be my little boy, yes, I'll be his girl

追記

ビートルズ「ドライブ・マイ・カー」は歌詞といい、ギターといい、「わたしと運転手のブルース」を下敷きにしているように思えてならない。


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