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【#note川柳】#7:お題は「青春」(31-35)
川柳を始めて何が変わったかというと指折り数えていることが多くなった点です。
散歩していても指折り数えて、YouTube見ていても指折り数えて、結構楽しんでいます。
今回の5句のお題は「青春」です。
あおはるのピンクレディーは遠くなり
ピンクレディーのミーちゃん、可愛かったです。
大ファンでした。
バイトリーダーとしてバスから二人の衣装ケースを楽屋に運んだのは44年も前のことになりました。
ああ我が青春も遠くになりにけり😊😊
いつまでも寝ることできたそれ若さ
じーじが大学生の頃の定番は、麻雀。
馬鹿みたいに二日間も徹夜して、その後、死んだようように21時間も寝ていたことがありました。
今じゃ寝たくても5~6時間も連続で寝られない。
夜は苦手で朝は早くても平気。note投稿は5:30頃。
寝るのも体力なのか? 青春の証なのか?
ほら見たかホウヨウボーイやってきた
じーじが大学生の頃は、今のように中央競馬に若い人が来るような時代ではありませんでした。
どちらかというと、タオルを鉢巻に赤ペン差して、タバコくわえたおっさんのギャンブルの場所という恐いイメージが強かったです。
そういう面では今の競馬は、日本中央競馬会のマーケティング戦略がまんまとはまってファン層が広がったとも言えます。
フジテレビの競馬中継で「井崎先生」なんて言われている井崎修五郎さん。
今もあるのかな雑誌「優駿」?
「優駿」で2歳馬が本格デビューする前、夏に翌年のダービー馬を予想するコーナーがありました。
何百人もの競馬評論家が予想を披露してただ一人、その時点ではまだ一走もしていない「ミスターシービー」を厩舎関係者の命名にまつわる話から予想していたのが井崎修五郎さんでした。
だから彼の名前はものすごく記憶に残っています。
そんな昭和の競馬場に通っていたのが大学生時代の私。
中でも印象に残っている馬が、ホウヨウボーイ!
1980年秋の天皇賞、1番人気カツラノハイセイコー、2番人気ホウヨウボーイ。
プリティキャストの大逃げの前に両馬はそれぞれ7着・6着の大惨敗⁉
暮れの有馬記念。天皇賞の1・2番人気だった両馬は、カツラノハイセイコーが3番人気、ホウヨウボーイが4番人気と人気を落としていました。
しかし、実力馬は、来るんだよ。
「そのまま、そのまま」大興奮の中でホウヨウボーイの優勝!
翌年、始まったのが国際G1のジャパンカップ。
米国の超一流とは言えない2流馬による高速競馬に日本馬はついていけず、ゴールドスペンサーの5着が最先着。全盛期のホウヨウボーイは6着でした。
今の日本馬は本当に強くなりました。
でも私の競馬熱は、学生時代で燃え尽きちゃいました。
青春の思い出です。
青春(あおはる)を捧げた詩金メダル
東京2020での阿部兄妹のダブル金メダル、感動しました。
特に妹の詩さんに感動しました。
喜びを爆発させて畳の上で涙を流したその姿にもらい泣きしそうでした。
決勝も含めて、この日の彼女の戦いには、青春をこの日の金メダルのために捧げてきた気迫を感じました。
全身バネのような対戦相手ブシャール(仏)選手との差は、延長に入ってのスタミナの差に現れていたように思いました。
どれほど練習してきたのか?
息が上がった相手との差はきっと練習量の違いではなかったのか?
そんな風にじーじは感じました。
金メダル、おめでとうございます🥇
アルバイト何でもやって培った
若かりし大学生時代。
いろんなアルバイトを経験しました。
お金だけでなく、大学時代のアルバイトは、社会のしくみを学ぶ機会でもあったと思います。
印象に残っているバイトに蛇の目ミシンの販売員のアルバイトがありました。3か月間やりました。
最初の1週間は、蛇の目ミシン教室に入れてもらって蛇の目メモリアの使い方を学ばせてもらいました。(もちろんただで養成手当をいただいて教えてもらいました)
そして、それが終わるとミシンを自転車に積んで、駅前など街頭に出てミシンの実演をしてみせる特訓です。
当時30万円以上もしたミシン(メモリア)は嫁入り道具の一つとして、お母さんが満期まで3,000円/月か5,000円/月の積立をするという積立契約を取ってくるというのが販売員の仕事でした。
街頭での実演の際には、メモリアで作った小銭入れを通りすがりのお母さんにさしあげて、一緒にDMをお渡しします。
パンフレット希望でDMの返信が返ってきたら、そこのお宅にパンフレットを直接お届けに行き、話が弾めば積立契約をとってくるというのがバイトの私の仕事でした。
歩合中心の給与体系下では、正社員の営業員の方は、皆さん一匹オオカミでノウハウを人に教えようという方はいませんでした。
そんな中でトップ営業マンの方の懐に飛び込んで、見せてもらった手帳にはびっくりしました。
ものすごく細かく、個人情報が書き込まれていて、何千人分もの手書きデータベースがそこにはありました。
あそこのお嬢さんは、今年高校生になるから、そろそろ営業掛けてみようかなと、その情報を上手に使って訪問活動や街頭実演会の場所の選定をして動いていました。
そんな真似は自分には絶対にできないと思いましたし、個人の手帳情報を共有してチームで動いた方が効率的ではないんだろうかとも思いました。
もはや嫁入り道具として30万円もするようなミシンはなくなりましたが、蛇の目ミシン工業は、産業用のミシンを中心に今年創業100年を迎えるそうです。
いろいろなアルバイトで培ったことは、社会に出る前の結構貴重な経験だったのかもしれません。これも青春の思い出です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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