パラレル教室運営日記13 全力で遊ぶ子どもたちの裏側
自分を見るためには・子どもを見るためには、
「じっくり時間をとる」「考えて意味を捉える」
そのための時間と言葉が必要だと考えています。
でもそんな時間が取れなくて、少しの焦りと、無理だという諦めが産まれかけていました。
夏休みが始まって、何かが変わりました
自分の中から言葉を出そうとしても言葉が出てこないということ。
勤務時間=子どもがいる時間で、自分の中と向き合う時間がなくなっている気がしています。
そのため、自分の中から言葉を引き出す時間が取れなくなり、結果的にはnoteを書くための頭が出てこなくなりました。
そんなわけで、これまで時間を使っていた、SNSのアプリをスッマートフォンから全て削除しました。
PCではみることができます。スマートフォンからはみられません。
少しでも、自分の心や自分の言葉と向き合いたいと思います。
でも、子どものことはじっくりと観察ができる
学童クラブや、放課後子ども教室は
「教えるー教えられる」という関係性を超えた、いわば「ナナメの関係」だと僕は思っています。
カタリバさんの取り組みは、まさに「ナナメの関係」
こんなナナメの関係に見守られている子どもたちです。こんなことしたら先生に言われちゃう・・・みたいなことが薄まっているため、
スキとスキ、夢中と夢中、ワタシとワタシ
がぶつかり合います。
時に激しく、時にじっくりと、時に爆発的に・・・
このことは学校を否定しているわけではありませんよ。圧倒的に、役割が違う、ということなのです。
↑ホームページより抜粋
このあたりの、8・9あたりは、学校の先生には意外とカバーできないところかもしれませんね。
子どもたちは、遊びの中で本気でぶつかることがたくさんあります。
子どもたちは、遊びの中で自分たちの力を試します。
子どもたちは、遊びの中で友達との関係を作ります。
子どもたちは、大人を安全基地にして知らない人と関わります。
子どもたちは、本気だからこそ悲しくなります。
子どもたちは、遊びに本気だからこそ怒ります。
子どもたちの遊びって本当に様々。
個人的にはこんな遊びを大切に設置したいと考えています。
・何度も繰り返し遊べそうな遊び。
・自分で発展させられそうな遊び。
・遊びを通して他の人と関われそうな遊び。
「子どもたちは」と語るとき
「子どもたちは」と語るとき、わたしの頭の中には「〇〇くん」「〇〇ちゃん」「〇〇さん」が浮かんでいます。
一般的なこども像、というより、具体と抽象をちょっとずつ行き来をしているように語ります。
教室の子どもの話をするときなども、子どもたちは、と語りながら
〇〇ちゃんはあんなこと言っていたな
〇〇くんはあんな姿を見せてくれていたな
とイメージしています。
「子どもをみる」とき
だから、子どもをみるときも
なんとなく姿をみているのではなく、
・あの子とあの子の関係性
・あの子から始まる関係性
・あの子を中心にしたみんなの関係性
と、1人を中心に周りとの関係性でみることを、「子どもをみる」だと考えています。
そうすると、子どもをみるときに
・表情
・しぐさ
・微妙な動き
・発言
1つ1つの事実を組み合わせて、解釈をしていくことが、最終的な「子どもを見る」に繋がっていくんじゃないでしょうか?
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