生まれて初めて32歳になりました
誕生日の記憶をたどりながら、
1989年10月7日に、愛知県の北西部で生まれました。生まれた時間はお昼の12時23分。カレーの匂いが漂うランチ時だったとか。太陽が天秤座の位置にある10月の期間、ちょうど太陽がほぼてっぺんに生まれたボク。天秤座らしい天命を生きられているでしょうか…
自分が生まれた時の様子は思い出すことはできませんが、みんなの話からなんとなく想像をすることができます。でも、いつの日か生まれた時の様子って思い出せるような気がしています。
それは多分、母は生まれた時の様子をいつも鮮明に語ってくれたからだと思う。ぼくの「龍明」という名前の由来を恥ずかしげもなく語ってくれるような家族。今思えば、語ってくれたのではなく、学校の授業で親に渡したプリントに書いてくれたのかも。あの時、ちょっぴり恥ずかしかったけど、そのプリントはすごく大事に感じたのを覚えています。
8歳のぼくの心に残っている、生活科の授業。今考えると平成になって生活科が新設され、創設期から平成10年の指導要領に向けて改訂作業が水面下で行われているときでもありました。
平成11年に10歳になったボク。平成10年になり、「ゆとりだゆとりだ」と揶揄された教育課程でしたが、小学校のときの記憶で唯一と言っていいほど残っている記憶が多分「総合的な学習の時間」の授業。あの頃、新設まもない科目にもかかわらず、先生たちが奮闘して、行事や授業と絡めながら様々な体験をさせてもらいました。夢中になってしめ縄をあみまくって、学校でも家でもひたすらアミアミした記憶。バケツ稲に心を注いだあの日。
当時合併前の「葉栗郡」だったこともあり、多分総合的な学習の時間のモデル校として指定を受けていたんじゃないでしょうか。とにかく、今でいう「探究」の時間を通して、面白いことをいっぱい体験しました。当時の先生たちありがとう。
ついでに、ぼくの中学の担任の先生は3年間英語の先生でした。そのおかげか、英語が身近な存在になりました。それも今思えば感謝。
学校で暮らしていたときに感じたこと
小学生の頃からずっと「おとなしくて、手のかからない、真面目な子」として通っていたので「この子と組んでおけば問題ない」と、いろんな人間関係の組み合わせを体験しました。
この子と一緒になりたいなあ、という思いはあまり叶わず。「苦手だなあ」「できるだけ一緒に過ごしたくないなあ」と思うようなチームのまとめ役をなんとなくあてがわれた記憶すらあります。このころのモヤモヤした気持ちは、何かにひたすら書き殴っていたような気がします。
当時通っていた学校は、線路が目の前にある学校で、置き石事件が絶え間せんでした。しょっちゅう体育館に集められお説教。こんなことしてる暇があったらもっとできることたくさんあるやん、ってずっと思ってました。
できれば、そういう変なことする人が減ったらな。
ボクが先生になったら、そういう変なことする人減らしたいな。
多分ここが、一番先生になろうと思った根本だと思います。
昔のボクに伝えたいこと
当時のいわたつさんへ
32歳になったあなたは「おい、たつあき!!!!!」と呼ばれながら先生をしています。賑やかな子どもたちにもみくちゃにされています。そんな未来を想像できたでしょうか。子どもたちからのコメントは主に3種類で
「先生変だね」「先生面白いね」「先生意味わからん」
毎日こんなふうに言われていますよ。ただただ、子どもといる時の自分はなんとく頑張ってるけど、同時に自然でもあるようです。
先生が変で、先生が面白くて、先生が意味わからんと、子どもたちは自分でやらなきゃいけないことも分かるし、自分が好きなことを見つけることもできるようです。
でも時々、あっかんべーされますよ。それは、ちょっとおふざけがすぎているんだと思います。
と前置きが長くなりました。
誕生日ということもあり、たくさんの方が声をかけてくれました。誕生日を「祝ってもらえて嬉しい」というよりは、「誕生日をきっかけにして、いろんなドラマが思い出されている。その瞬間って、世の中がすっごいハッピーに見えるなあ」と感じたんです。そんな感覚をシェアします。
10/6の様子
まずは前日から、
「もうすぐ誕生日ですね〜」と、周りがソワソワし始める。
自分自身も「明日だなあ」と思いはするのですが。とりあえず、10/3の一粒万倍日にポチった10月始まりの手帳が届く。
この日は新月ということもあり、これから10月の満月に向けての願いごとをリストアップする。なんだかこれからの1ヶ月が楽しみになりました。
10/7当日の様子
いよいよ当日。「絶対ボクが一番乗りだろう!」と言わんばかりにメッセージをくれる人もいたりとか。
誕生日って一人一人にとってみんな特別って分かってるから、その人との特別な気持ちを言葉に乗せて送ります。
その人の1番素敵なところを見つけようとする人もいれば、
その人の1番大好きなところについてコメントする人もいて
これから一緒に楽しみたいことを伝える人や
大好きだっていう気持ちを伝えるがいて。
少し照れていたり
全力だったり
ソワソワしていたり
感謝していたり。
もう、怖いくらいエネルギーが入り込んできているのを感じました。怖いっていうのは比喩表現で、純粋に嬉しかったです。嬉しすぎました。そして同時に気づいたのは
そうか世の中にはいいパワーがうずまいているんだ。気づいてなかったのは自分だ。
ということ。
生まれて初めて32歳になってみて
いろんなことを転々としつつ、ほそく長く続けてきました。それなりに途中で転換期も迎えました。
例えば
小学校はサッカー部▶︎中学校からチューバを担当、大学の終盤でリコーダーを始め、社会人バンドではホルンを演奏
先生になりたくて教育学部▶︎先生をやめた後に学童の先生をしながらいろんなお仕事を体験
愛知・岐阜で30年▶︎東京▶︎群馬と転居
これまでは、自分の人生を住む場所や取り組む内容を大きく変えることで面白くしようと考えていました。
でも、変えないと面白くない、というわけではないということ。
自分という存在は、どこで誰といてもユニークな存在でることに間違いはないし、ユニークな存在でいて良い。
自分という存在は、どこで何をしていても愛されていい。
そんなメッセージを受け取りました。
今の場所で「自分は何もできない」と思っている人がいたら
・今の場所でまず自分が愛されていることを噛み締めてほしい
・環境を変えることも考えつつ、今ある場所を大事にしてみてほしい
・自分ができることから少しずつ身近な人を幸せにしていってほしい
生まれて初めて32歳になってみて感じたことが、皆さんの心に少しでも響けば嬉しいです。
いわたつ
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