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『小鳥ことり、サクラヤマのぼれ』10

【呪いと事件】
 
 さっくりと『呪い』のことばが出たおかげで、逆に話しやすくなった。
 ヒワがここに越してきてからの話を聞かせている間、ケンイチはずっと黙って朝食を租借しながら耳だけは傾けていたが、カンダヨシノの話を聞いた時には、さすがに彼も動きを止め、まじまじとヒワの顔をみて、少し置いてから「マジかよ」そう言ったきりだった。
「知ってるの? カンダさん」
「知ってるも何も……」狭い地域なので、ケンイチも知らない訳はなかった。菅田吉乃は小学六年の終わり頃に団地に引っ越してきた同級生なのだと言う。
「すぐに中学になって、クラスが変わったんであんまり話したことないけど……特にヤな奴とか言う訳でもなくてさぁ、案外ジミなタイプだった、かな。文鳥を飼ってるって、一度だけ聞いたことあるけど、文鳥ってのも何かさぁ、地味じゃね?」いきなり最後がよく判らない質問になっていた。
「そうかな……」
「飛び降りた、って?」
「正面玄関のとこで、そう聞いたんだけど」
 ヒワの目にじわりと新しい涙がにじむ。
「今朝、ってコト?」
 うん、とヒワはうなだれた。「たぶん私が行ったせいで」
「待てよ」
 また、強い口調でケンイチが遮り、ヒワは思わず彼の顔をみつめる。
 今まで見たこともないような、力強い目をしている。
「菅田も被害者だと思うんだけど、オマエもたぶんさぁ……飛んで火に入る、ってヤツだと思う」
「何それ」
「やっぱ、目玉ババアが一枚かんでるんじゃないかって、思うんだけどな。アイツにしてやられたんじゃないのかな、オマエも」
 そして続くことばに更にヒワは息をのんだ。
「あの辺のヤツら……目玉ババアに何らかの形で関わったヤツらは、軒並み『呪い』攻撃を受けてる。もちろん、団地以外の、元白鳥の連中もね」
 オレも呪われたんだ、軽くだけどね、とさらりとケンイチが言った。
「目玉ババアは辺りかまわず、人を呪うんだ」
 目玉ババアは、団地ができて最初の住民が入った頃からその場所に住みついていた、と言われるが、案外その辺の事情に詳しい人はいない。
 ケンイチの祖父・ヤベじいならば、生まれも育ちも元白鳥なのだから少しは詳しくても良さそうなのだが、ケンイチが目玉ババアのことを訊こうとしても、何だかんだと話をはぐらかしてしまうのだそうだ。
「でもさぁ、あのバアさん、いっつも村のヤツラを呪ってやる、って言ってるらしいし、家もアヤシイし、見た目もアヤシイし、さ」
「見た目……でもシワとかさ……」
 幼女の姿かたちを思い起こしながらヒワがつぶやく。
「シワとか、あったっけ……」
 ケンイチが可笑しそうに噴き出す。
「あるに決まってるさぁ」
 しかし、意外にもこう続ける。
「まあ、マジマジ見つめたことなんてないしさぁ、目が合うと強烈な呪いが襲いかかるって言うヤツもいるから、近所の奴らなんてまともにバアさんの顔なんて見てないよ」
「……そうなんだ」
 マジマジ見てしまったから、呪われたのだろうか?
 それでも、ヒワには何かと、ひっかかることはあった。
 あのおばあさん(まあ、見た目は小さな子だったけど)、そんなに凶悪な感じでもなかったような気もする。それに「カーコ」、あのカラスも不気味、というわけではなかったような。
 ヒワの心中も気づかぬように、ケンイチは訥々と呪いに関わっていそうな事象の話を続けている。
 知らない車に後をつけられた、変な人に声をかけられた、という事案は元白鳥内でも何件か発生していたが、団地が出来てからここ四〇年ほどのうちに大ごとになったのは、三件、全部子どもと言える年齢で、しかもすべて団地内に住んでいたのだという。
 子どもが行方不明となったのが三件というのは、あの地域にしては比較的多い方だ、とヒワも思う。
 すでに三〇年以上前の話らしいが、一件目は男子高校生。当時十八歳ということもあって、連れに誘われての家出なのかも知れない、と思われたこともあって、あまり真剣な捜索もされず、真相はいまだに不明なのだそうだ。
 行方不明となったもう一件は一〇年ほど前の当時小学6年生。ずいぶん離れた山中でみつかったのだが、それからずっと入退院を繰り返し最終的にはどこかの療養所に移ったらしい。
 両親は、子どもにはもともと持病もあったのだと言い張り、結局は療養所近くの土地に引越していった。
 三人目はまだ三歳くらいの幼児だった。数ヶ月後にまったく別の場所、海岸に浮いていたのを発見された。その後、隣町で犯人が見つかって、車で撥ねた後、怖くなって動かなくなった子供を車に乗せ、海に投げ込んだと自供した。真相は判明したものの、だからと言ってと言って子どもが帰ってくるわけでもなかった。
 轢き逃げ自体は呪いとも何の関係もなさそうだ、しかし、それすらまことしやかに
「呪いだ」
 と囁かれる始末だった。
 特に子どものからむ事故や誘拐未遂事件や声かけ事案などは、そこまで深刻な被害はなかったものの元白鳥全域でもたまに発生しているらしく、たびたび地元自治会の地域パトロールも行われているのだそうだ。
 そして何時の頃からか、こんな話が飛び交うようになった。
『酷い目に遭うのは必ず、ツクネジマの目玉ババアが呪った連中だ』と。
 事の真偽を確かめた者がいたのかどうかも分らない、しかし、噂話というのはすぐに広まるものだ。
 いつの頃からか、元白鳥で何か良くない事があると、たいがいが『目玉ババアの呪い』のせいになっていた。
「何でそんな危険なバアサンなのに逮捕されないの」
 ヒワはやや前のめりになって強調したが、ケンイチは案外あっさりと
「だってさ」当然だろう、みたいな顔で言う。
「オレもよく分かんないけど……アイツ、車も運転できないし、自転車も持ってないし、まず、ほとんど家から出てないらしいよ、何でそれでヒトゴロシとか犯罪ができんの?」
「……」ヒワは眉を寄せる。
「でもさっき、アイツに呪われてないか、って言ってたじゃん」
「呪ってやるとはしょっちゅう言ってるし、気味悪いこと色々やってるけど、本当に犯罪をやったって証拠がないしね、それにさ」
 ケンイチは最後の大きなバンズの切れをいっぺんに口に投げ込んで、良く噛んでからはあ、と息をついて続けた。
「『目玉ババアが一枚かんでいる』っていったのはさ、別にアイツが元凶ってわけじゃなくて、なんて言うか、アイツがいることで、地域全体のなにかがおかしくなっているのかも」
「つまり……」急に黒々とそびえるオオヤマの姿が脳裏をよぎる。
「黒幕? だったらもっとよくないじゃん」
 うーん、とうなりながら、ケンイチは紙ナプキンを意味もなく丸め続ける。
「うちのじいさんは、目玉ババアのことそこまで悪いヤツじゃない、って言うんだ。それに近頃はあんがい、あそこ静かだったしね」
 地元警察は元白鳥だけではなく、そこから南の、元白鳥を含む畠山地区という同じ中学校学区すべてを管轄している。
 畠山全区の他地域は交通網が整備されたおかげで、ここ数年人口増加がはなはだしく、トラブルも急増中、どちらかと言えばのどかな元白鳥のような一地域の『事件』は緊急性がない限りどうしても後回しになる、のだと。 
「つまり、犯罪率として見れば、団地ですら、それほど気にならない程度なんじゃね?」
 ケンイチは軽くそう言うのだが、
「それって」ついヒワは叫ぶ。
「日本全体から比較してもかなりキケンな状態じゃないのっ?」
「そ、っかな」
 ケンイチは今度はコーラを大きくひと口すすってから言った。
「オマエ住んでるトコなんて、もっと犯罪多いだろ? 大都会だし」
「数は、どうだろう……でもなんか、こんなに自然が豊かでのんびりしている感じなのに、逆にさ、こわくない?」
 ケンイチが困ったように笑って言う。「いやあ、どうだろ」
 しかし、自らが呪われた、という点はおおいに問題だ、ということでは意見は一致した。
「ケンちゃんは何で呪われたの?」
 つい昔の呼び方になっていたが、ケンイチはむしろその方が慣れているかのように、すんなりと答える。 
 ケンイチが『呪われた』のは高校に入ってすぐだったらしい。
 同じ高校の一年先輩が、団地に住んでいて、参考書をくれてやるよ、と言ったので取りに行った、その帰りのことだった。
 ふと昔の噂を思い出し、少しだけ道を変え、目玉ババアの家の前を通ってみた。
 塀には相変わらず、ステッカーが所せましと貼られていた。そして、側溝と敷地ギリギリのあたりに、乱雑にのぼりが並べられている。
 つい、のぼりのひとつに手をかけた。なぜか手から離れず、それはそのまま彼の方に倒れかかってきた。斜めにハンドルにかかり、ケンイチは思わず立ち止まって舌打ちした。
 強く引っ張ったわけではないが、それは長年の風雨に晒されていたせいか、簡単に破れて地に落ちた。確か、眼鏡屋ののぼりだった。竿が派手な音を立てて倒れ、直そうかそのまま行ってしまおうか迷ったせつな、
「塀の上に、カラスが止まってさ」
 カラスと目が合った、と思ったらすぐに塀の中からしわがれた声が
「オマエ、よくもノボリを。さてはヤベのうちの小僧だな、呪ってやる」
 そう叫んできて、怖くなってあわてて逃げたのだそうだ。
 その後、鞄を出して気づいた。
 自転車の前かごに、丸めたメモ用紙が突っ込まれていた。皺を拡げてみると
―― のろったぞ
 と、稚拙な字で書いてあったのだそうだ。
「それから何かあたっ?」言葉じりをもつれさせながら尋ねると
「次の日、腹が痛くなって熱が出た」
「そんで?」
「休みだったんで、寝てたよ」それから二日くらいで治ったけどね、と彼はけろりと答えた。
 なーんだ、熱が数日? それってカゼとかかも知んないじゃん? とヒワは珈琲を飲みほした。
「まあね……ノロイ、というよか、ノロウィルスだったかも」
 つまらないダジャレに「ははは」と乾いた笑い方をしてみせたヒワは、次のことばに凍りつく。
「ケータイに文字とか出たってのと、菅田のことばが、ちっと気になるけどな……それにオマエは嫌われて呪われたって言うんじゃなくて……見込まれた、みたいじゃない?」
「誰によ」
「……ばあさん、に?」
 ケンイチはようやくそう言ってから、黙って自分の組んだ指先を見つめているだけだった。
 いっしょうけんめい、答えを探してくれているのはヒワにも痛いほど伝わってくる。
 しかし、彼にも分からないことが多いみたいだった。
 人がひとり、たぶん死んでしまったのだ。目玉ババアの仕業なのかどうかは判らないし、本当に死んだかどうかも今は判らない。だが、多分、あれでは助からなかったに違いない。
 警察に行けば、いきさつを説明するよう求められるだろう。しかし、まるっきり説明できる気がしない。
「どうすれば、いいとおもう?」
 消えそうな声で、ようやくヒワは問いかけた。今珈琲を飲んだばかりなのに、口の中がからからに乾いてきていた。
 

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