見出し画像

”力を抜く”ってどういうことよ


力抜けよ~と言われても


これまでの人生を振り返って、”力を抜く”というのは僕には難しいテーマで、「はい、力抜いて」と何度もいろんな場面で言われてきたことか。だからこそ、これってどういう意味なんだろうと考えるようになってきた。僕だけ?いやきっと、力を抜くのが下手な人って沢山いるような気がする。力み気味の人たち、同類は見れば判る。
「力を抜く」これはもちろん身体的なことだけど、身体と心は連動しているから、精神的な「力を抜く」もあるはず。
ということで、日常生活での「力を抜けよ」を目をむけると・・・

スポーツクラブのプールで泳いでいると、周りにものすごく辛そうに泳ぐ人もいれば、滑らかなフォームでゆったり水を滑るように泳ぐ人もいる。前者は手足をバタバタさせながらも、なかなか前へ進まない、ブレスも苦しそうで、疲れるために泳いでいる感じ、まぁカロリー消費にはなるのだろうが。水泳を習ったことはないのだけど、ゆったりとしたフォーム・姿勢の維持・流れにそったブレスは楽に泳ぐポイントなんだろう、とイメージを膨らませながら泳ぐようにしている、それができる日もあればそううまく行かない日もある。
楽器の場合はどうか、趣味でトランペット(ジャズ)を吹いているが、我流で始めた為、力入れすぎの吹き方で非常に苦労した(演奏会での失敗は数知れず)。プロの先生についてちゃんと教わってみることにした。最初の頃「ダメ、すべてに力が入っている!!」はいはい、でも、こういう僕みたいな人には「力を抜いて」はあまり役に立たないんだよね。そこから2年、だんだん判ってきたこと。トランペットは非常に単純な構造の楽器で、楽器と唇・唇の周りの筋肉・手・舌・呼吸・お腹が絡み合って音が奏でられる。それらの力のバランスが大事で「力を抜く=脱力」ではない(みたい)
時々座禅(天台宗なので”止観”と呼ぶ)に行く。お坊さんが基本の姿勢を教えてくれる。足を組み両ひざとお尻の三点で身体を支える(半跏)。このポーズが一番楽で安定するから。手は印を組む。印を組んだ手の位置は、うまく”収まる”ところに置く。だから腕は脱力しない、脱力は逆に力が入る。”収める”のがポイント。目はつむらない、開けて外の画像を取り入れる、でも一点を見つめているわけではない。座禅は我慢大会でもないし、内面を見つめるだけのものではないんですよ、とお坊さんは言う。昔高校生の息子をこの座禅会に連れて行った時、無茶苦茶辛かったらしい、力入りまくりだったのだろう。
俳句はどうだろう。句会でよく先生から言われること、
「つきすぎ」「べた」。自分が感じた詩情(句を詠みたくなった気持)をそのまま”説明したり”、或いは”風情あるっぽく” 17音を組み立ててしまうということかな。平凡で深みのない句になってしまう。こういうのも、頭の力の入りすぎなのかもしれない。
ビジネスコーチをする時がある。もともとコーチングを受けたいと考える人は前向きな人が多い、それはそうか。でも、時に優秀ではあるが、がちがちに自分のキャリアプランを固めている人もいる。今の仕事の次のステップは・・・、自己分析も完璧、目標設定も能動的にやれる。こういうタイプの人もある意味「力入れすぎ」なのだと思う。キャリアは思い通りにはいかないし、そもそも仕事なんて人生の一部に過ぎない。もっと広い視野でこれからの人生を見ればいいのに・・・ こういう力みをほぐすのは案外難しい。まぁ自分も若い頃はこうだったのかもしれない。



そんなことを考えてみると・・・「力を抜く」とは何なんだろう。
言葉で身体や心の動きを表すのは実は簡単ではない、とても複雑だから。「力を抜いて」なんて言葉にしたら、それをつい真に受けてしまう。「力を抜く」というのは、「脱力」や「リラックス」ではない。身体のいろんな部位の緊張の加減、そして身体を流れる気みたいなも併せてバランスがうまく取れてる”気持ちの良い状態”かな。一つの言葉で表すよりも、そういうバランスが取れてる状態をイメージするのがいいと思う。平衡感覚を養って、そのバランスが崩れた時に気づく、つまり調子が悪いときは、どこか力入りすぎ・緩みすぎのところがあって、そこのねじをちょこっと調整してみる。


この記事が参加している募集

#新生活をたのしく

47,934件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?