「心の傷を癒すということ」

ドラマのエンドロールがいつも
音楽と相まって心に迫ってきた
走っている道がどこなのかすぐ
分かるほどに見慣れていた景色
三宮の街並みが流れていく映像
工事中の風景はその時期限定で
偶然にも切り抜かれた構築途中

行こうと思えばすぐ行ける場所なのに
ずいぶん遠くひどく昔のように思えた
かつてはひとときの自由を楽しんだり
つかのまの安らぎを得てきた場所でも

きっともう
戻ることはないんだろうなと
根拠なく思っていた
大好きだったけれど
でもきっともう
戻ることはないんだろうなと

知り合いのいない土地でひとりきりで
抱えてきた心の傷のキャパオーバーで
ビョーキになって暮らしていたけれど
さほど不自由さなどは感じなかったし
休めばよくなるという楽観もあったし
だからきっともう
戻らない場所だと思いこんでいたのに

限界か急変かもう根本から違ったのか
どうしようもない瞬間が訪れてしまい
愛してやまない街に暮らしていたのに
災害ではなくただ自分の病気のために
また昔の場所に戻らざるを得なかった
きっともう
戻ることはないと思いこんでいただけ

私にとって三宮という街は
大好きな記憶であると同時に
不自由な日々の記憶でもあった
家から少し離れた場所で
家から少し解放される場所で
でも時間が来ればまた
不自由な空間へ戻らなければいけない
無意識のうちに縛られていた頃

人はさまざまなストレスやトラウマによって容易に居場所を失ってしまう。人から居場所を奪うことは簡単である。だが、失われた居場所は決して人から与えられて得られるわけではない。いかに理不尽に居場所を奪われた人であっても、その居場所は自分の手で取り戻さなくてはならないのである。*

[新増補版]心の傷を癒すということ -大災害と心のケア(安克昌,2020,p.322)

これからはどうか
悲しみに暮れるだけの時間で終わるのではなく
この風景を見てつかのまの自由に救われていたと
あの街を優しい記憶に

これからはどうか
不自由だった日々の記憶を繰り返すのではなく
ドラマでこの風景を見てすごく心に響いていたと
屈託なく話せる誰かと

これからはどうか
新しい始まりが待つはずの道を諦めるのではなく
この風景を見て縛られることない未来を見ようと
確かな思いを抱えた自分で

少しずつ少しずつ
私の居場所を取り戻していくように
あのドラマのエンドロールから
また始まるかのように 歩こう


NHKにて放送された土曜ドラマ「心の傷を癒すということ」、およびモデルとなった安克昌さんの著書を参考・引用させていただきました。
*[新増補版]心の傷を癒すということ -大災害と心のケア(安克昌,2020,p.322)