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ファーストデートの思い出

お互いの立場上、あまり大っぴらに書ける話ではないかもしれない。でも付き合うことはなかったし、もう20年以上たっているから語るのを許してほしい。

わたしは高校生で、彼は高校の教師だった。新卒で赴任した彼は、わたしのある教科の担当教師になった。ありがちなことだと思うが、新任の先生は生徒の注目を集めやすく、比較的年齢が近いため生徒からいじられやすい。彼も例にもれずそのように扱われていたし、わたしと友達との会話でも彼が話題になることがあった。もうだいぶ昔のことで記憶があいまいだけど、最初の頃は単なる「新任の先生」という認識だったと思う。

彼は明るく、教師にしてはちょっと軽めの口調で生徒たちを褒めたりおだてたりした。わたしは彼の担当教科が得意だったので、しょっちゅう褒められた。「さーすがぁー」とか「できるっ!」とか言ってくるのを「いやいや、大げさでしょ」と心の中でつっこみつつ(うっかり声に出したこともあったかもしれない)、褒められて悪い気がしないのも事実だった。そのせいか得意教科がますます得意になっていった。

1年の終わりか2年のはじめころか、彼に「資格試験あるから受けてみない?」と勧められた。資格を取れば何か役に立つかもしれないし、分からないところは放課後に教えてくれるということだったので受けることにした。
放課後になると、受験する生徒たちが自由に教室に集まって自習した。先生たちが交代で来て指導してくれる。彼は新任だからなのか、一番よく顔を出していた。集中して勉強した後は、彼と雑談をした。どこに住んでるとか、好きな歌手とか、好きなプロ野球球団など、いろいろなことを話した。彼は好きな歌手のCDをデビューアルバムから最新のものまで貸してくれた。わたしはそれを全部何回も繰り返し聴いた。彼が応援していた球団は巨人で、わたしはヤクルトだった。授業や廊下で顔を合わせるたびに、前日の試合のことを話して喜んでみせたり悔しがったりした。
資格試験は無事に合格した。3級が受かったので2級、1級と進んだ。その間も自習室に通った。勉強しに行っているのか、彼に会うために行っているのか、もうわたしにはわからなくなっていた。



ここまで書いてみて思ったのは、ファーストデートってそこに至るまでの過程がかなり大事なんだということ。ふたりだけで会う日だけでなく、お互いの距離が近づき始めたときからがファーストデートなのかもしれない。



さて、話を過去に戻して、わたしと彼は野球を観に行くことになった。どういう流れでそうなったのか、本当によく覚えていないのだけど、わたしがだめもとで冗談ぽく誘ったのだと思う。そしたら意外とあっさり「いいよ」と。そのあとチケットを取る時に席を巨人側かヤクルト側かのどっちにするかで悩んだものの、結局は巨人側に決めた。一緒に野球が観られるならなんでもよかった。
待ち合せは都内のターミナル駅を指定された。さすがに地元から一緒に行くわけにはいかないと思ったのかもしれない。休日で人が多いから会うのが大変そうだと思っていたが、驚くほどすぐに見つけた。たくさんの人のなかで、視線が彼に吸い込まれるようだった。当然のことだけど、彼はスーツではなく私服だった。わたしも制服ではなかった。ここは学校ではないし、授業も資格試験も関係なかった。そこでようやく事の重大さに気づき、ものすごく緊張した。
東京ドームに到着し、席について反対側の席を見るとヤクルトファンたちが緑のビニール傘をさして試合前の応援をしていた。少し緊張がほぐれたわたしが「あー、わたしもあっちで傘さしたい」と言うと、彼が「今日は巨人を応援しろよ」とやさしく咎めたので、おとなしく言うとおりにした。

緊張してふわふわした気分で試合を観ていたので、試合結果がどうだったかまったく覚えていない。ふたりでドーム限定フレームのプリクラを撮ったはずだが、いま手元に残っていないので本当に撮ったと言い切る自信がない。デートが終わった後のわたしは「この日のことを絶対忘れない」と思ったはずだ。しかし長い年月がたって記憶は風化し、当時の感情を思い起こすことも難しくなった。楽しかったことも胸を締めつけられた想いも、おとぎの国で聞いた話のように遠い。
そのなかでも、くっきりと鮮やかに思い出せることはある。ひとつは松井秀喜選手が打ったホームランの打球の速さ。もうひとつは、座って観戦していたふたりの脚が自然にふれて、しばらくそのままでいたこと。離れなければいけないけど離れたくないというもどかしい葛藤と、なぜ彼は離れなかったのかという淡い期待のこもった疑問だけは、思い出としていつまでもわたしのなかに残っていてほしい。

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