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明日、春が来たら【自作小説】

※この記事は文学サークル「お茶代」の課題として作成しました。全文無料でお読みいただけます。

はじめに

 明日春が来たら君に会いに行こう。そんな一文から始まる文章を受け取ったのは、二十年ほど前の、クリスマス・イブだった。我が家のポストに新聞と一緒に突っ込まれていたのだ。
 後ろの方の頁が丸ごと破れ、読めなくなっている一冊の大学ノート。そこに子供が書いたような、可愛らしい字のメモが挟まっていた。しかし文章の調子や、使われている単語の難解さを見るに、大人に命じられて書いたように思われる。しかしながら、なぜそのような手の込みいったことをしなければならなかったのだろう?
「これを書いた人のゆくえを追っています。しかしながら生きているあいだに、もう会うことはかなわないのでしょう。
 ノートを手に入れられたかくりつを考えると、その低さにおどろくとともに、何かしら定めのようなものを感じずにはいられません。彼の生きたそくせきを何としてでものこさなければならないと考えるに至りました。
 しかしながら、今のしんぺんがこみ入ったじょうきょうでは、これを失わずにほぞんすることはむずかしい。そこであなたさまに、代わりに守っていただきたいのです。
 何とぞ、よろしくお願いいたします」

北川通のノート 断片

 明日春が来たら君に会いに行こう。——そんなことを考えていたのはどのくらい昔のことだろう。待ってさえいれば「春」はやって来ると、無邪気に信じ切っていた時代が僕にもあった。
 父について僕は何も知らない。幼少の頃、彼らしき姿の写真を一度だけ手に取ったことがあるけれども、母に見つかった途端、無惨に破り捨てられた。父について、母は一切語ろうとしなかった。
 物心ついた頃には、母はキリスト教系の(その内実は、本物と似て非なるものだ)いわゆる新興宗教に入信していた。有り金の大半が教団へつぎ込まれ、貧しい暮らしを余儀なくされた。毎日朝晩、母と共に祈りを捧げ、週に一回、信者たちの集まりに参加する。ある男が次のようなことを話していたことは、今でもかすかに記憶に残っている。
「教祖さまはこう仰っしゃられていました、見せかけの豊かさに騙されてはいけませんと。物質主義に覆われている今の社会は刺激的ですが、そこに幸福があるとは限りません。本物の豊かさは心で感じるものであり、その奥深くからやってくるのです」
 彼らの求める「救い」は専ら心の安寧であり、生活面における信者同士の助け合いはなかった。教団は資本主義社会に疲れた人々が縋りつく、新たな商品だったのだ。
 近所の住人は、新興宗教の信者である母から距離を置いた。彼らの警戒は子供同士の関係にも及び、孤立した僕の視界は教団によって占領されていた。その外側にあるという社会なるものは、まったくの未知だった。教団の外にさえ出れば幸せになれる——そんな思い上がりをのちに抱くのもこれが遠因である。
 友人との交遊もままならなかった僕にとって、学校はほぼ唯一と言っていい社会との接点となった。そんな時、まるで天佑かのように僕の前に現れたのが君だった。

 小学二年生の春。教科書を取りに戻った放課後の教室、ドアを開け、目を合わせたその瞬間、君は夕陽に包まれながら泣いているように見えた。刹那、心臓を掴まれたような感覚を覚える。原因不明の痛みが雷鳴のように胸を貫く。果たしてこれを何と呼べばいいのか、長らく言葉に窮してきたが、おそらくは悔恨なのだろう。経験に先立つ悔恨、存在に深く刻まれた悔恨なのだろう。表情に焦りが見えたのか、君は「気にしないで、目にごみが入っただけ」と言っていたけれども、とてつもなく重大な、見逃してはならない事実が隠されているように感じられた。
 君が積極的に話しかけてくれたこともあり、僕らが仲良くなるのにそう時間はかからなかった。最初の儚げな印象との違いに混乱したが、徐々に慣れていった。僕と一緒にいるためクラスで孤立しても、君はまるで気にする様子を見せず、「ああいうのは気にしたら負けだよ」などと軽くたしなめたりもした。
 今だから話すけれども、学校からの帰り道、君との寄り道が多くなると、帰りが遅いことをたびたび母に咎められた。何が気に障ったのか、母は君のことを良く思っていなかった。近所付き合いのこともあり、疑心暗鬼になっていたのかもしれない。新興宗教の食い物にされた母を愚かと断じることは簡単だけれども、彼女に手を差し伸べる存在は、父以外には教団しかなかったのではないか。当時の非力な僕は母の方針に黙って従うしかなかった。

 君と僕は一年も一緒にいられなかった。冬を前にして君は突然、学校に姿を見せなくなった。教師によれば、何処かへ引っ越したとのことだったが、場所については一切聞き出せなかった。前もって何も知らされておらず、疑念は拭い去れなかった。
 君と最後に会ったのはその前日のことだった。いつも通りの何事もない一日にも関わらず、帰り道の君の話が印象的だったこともあり、よく覚えている。
 通学路の周囲は秋の終わりを静かに物語っていた。地を黄金に満たした稲は刈り取られ、天を黄や朱に染めていた街路樹は葉を落とす。そうしてできた絨毯を踏みしめ、乾いた音を立てながら、僕らはあてもなく辺りをうろついていた。
「もし明日、あたしが居なくなるとすればどうする?」
「どうしたのいきなり」と聞いたが、返答はなかった。どうやら君の耳には届かなかったらしい。時々このように、君の耳は聞こえる話と聞こえない話を器用に選り分けた。大変優れた耳である。
「想像もつかない。ものすごく悲しいのは確かだけど」と諦めて答える。
「悲しいって、どのくらい?」
「そんなの言葉にできないよ。ただ分かるのは、とても耐えられそうにないってことだけ」
「そっか」と君はそう言って顔をほころばせた。「でも、あたしはそんな風に思っていないよ。君なら何となく、うまくやっていきそうな気がする」
「なんでそう言えるの」
「何となく」
「信じられないな」
「大丈夫」空に昇り始めている月を見上げながら、彼女はそう強く言い放つ。果たして何を捉えていたのだろう、その静謐をたたえる水晶体は。太陽は水平線の彼方へ没し、その向こう側へ光を運んでゆく。
「あたしたちはその試練を乗り越え、もう一度出逢うの。春、花びらの舞い散る夕暮れに」

 それから僕がどのようにして別れの悲しみを乗り越えたのか、はっきりと覚えていないけれども、君のその言葉が胸に残っていたのは確かだろう。僕は生き延びなければならない。この苦境を乗り越え、君に会いに行かなければならない。そう自分自身を説き伏せた、根拠も手掛かりもない癖に。転機が訪れるのはちょうど二十歳の時だったが、その遠因は高校時代、バイト先でかつての同級生と再会した時にあった。
「もしかして、小学校同じだった? 北川だよな」
 このように最初声をかけられた時、正直に言うと戸惑った。何を考え、当時一切関わりを持たなかった人間に話しかけようとするのだろう?
 彼とは自由にできる時間が被っており、よく同じ時間帯のシフトになった。
「あの時俺は、周りのクラスメイトに合わせてやり過ごすことしか考えず、後ろめたささえ感じていなかった」彼はこう話していた。「今となっては、少し後悔している」
「辛気臭いのは勘弁、勘弁。もう済んだことじゃん」
「すまん、気を使わせて」
「別に。ただ、彼女の行方が分からないのは心残りだな」
「吉野へ引っ越したと聞いているぞ」これを聞いたとき、僕は我が耳を疑った。
「吉野って、あの奈良の吉野か?」
「そうじゃなかったら何の吉野だよ」
「どうしてあんな田舎へ越したんだろう」
「農業でもやりたくなったんだろ」
「家族の話はよく聞いていたが、そんな様子はなかった。それに他の土地でもできるだろ」
「じゃあ分からんな。どうせ風のうわさなんだ、ただでさえお前ら孤立していたのに、正確な情報なんて俺に求められても困る」
「そりゃそうか」
 この時を最後に、楠野と話すことは二度となかった。他の日にもシフトが入っていたにも関わらず、突然姿を消したのだ。まさかとは思ったが、彼の行方を語る人物は結局、現在も現れていない。
 楠野との付き合いは短かったが、いい奴だった。もう少し同じ時間を共有できていたら、お互いにとってかけがえのない存在にだってなれていたのではなかろうか。どうして僕からは、大切な人がこうも忽然と居なくなるのだろう?
 当時僕は母から教団を抜けるように説得、しばらく確執が続いていた。しかし楠野が行方をくらました時を境にすべて諦め、母の方針に従うことにした。僕の心に春が来ることはなかった。
 母を責めるつもりはない、ただ、愛される為には「いい子」でなくてはならないという意識を幼少より抱き続けてきた。
 誰しもこの年代なら、将来に対する漠然とした不安を感じるものなのだろう。しかし僕は例外だった。端から期待などせず、今をやり過ごすことしか考えないのだから、毎日は至って平穏だった。

 そのような空虚な安寧に、令和四年の七月八日、何の前触れもなく訪れた幕引き。その時放たれた二発の銃弾は、一体何に風穴を開けたのか、しばらく考えた。
 勿論あの事件は決して、マスコミや政治家が言うような「力による現状変更」としての「テロ」でも、「民主主義への挑戦」でもない。暴力の禁止を可能にする、現実における裏付けとは、他でもないそれ自体なのだから。
 山上徹也は誰かに犯行を煽られたわけでもなく、それを促すに値する独自の思想も持ち合わせなかった。彼を政治思想の面から捉えるならば、インターネットに幾らでも見かけられる、有象無象のうちの一つに過ぎぬ。
 つまるところ山上徹也は、この先遠い未来においてなりうる、僕自身の実存なのではなかろうか? 彼の家族は新興宗教によって崩壊した、そして金もないまま孤独になった。この単純ながら乗り越え難い半生こそ、彼を犯行に駆り立てたのだ。僕はあのような末路を辿ってはならない。この埃っぽい自室から抜け出し、誰かと繋がらなくてはならない。
 中にはこの事件を切っ掛けに、新興宗教の被害者同士、互いを理解しあう仲間が生まれたという人もいたようだ。しかし僕の性には合わないように感ぜられた。そういった湿潤的な関係が自分を救ってくれるとは、どうしても信じられなかった。慰められるべき過去など存在しない。僕が見たいのは、自意識の外側の景色なのだ。
 ではどのような人間と繋がらなくてはならないのか。いとも簡単に大衆に迎合できるならば、それほど喜ばしいことはない。だからといって、素直に信じようとするのは、あまりに無邪気すぎる。
 あのような事件があったのだから、世間の風当たりも多少なりとも変わるだろう——そんな事がどうして言える! 物わかりの悪さにかけて、彼らは一流なのだ。結局現れるのは、何も知らない癖に新興宗教、または宗教一般を目の敵にする輩だけだった。信者にも信者なりの生活があり、内面の自由があることは、遂に思い返されなかった。
 当たり障りないものを愛し、信念という語を知らず、周囲と同じくすることを恥じない——これを人間と呼ぶならば、僕はその彼岸へ向けて歩まねばならぬ。

 僕は君に会わなくてはならない——これが散々考えあぐねた末に導き出された、単純明快な結論だった。それは「人間」たちの反逆を相手とせず、森の奥深く、誰にも知られない獣道を進むことを意味していた。
 これを書くべきか少し迷ったが、僕に前世の縁(えにし)とでも言うべきものがあるとすれば、それは君とのあいだにあるのかも知れない。心做しか僕は生まれる前、一度君に出逢い、或る激烈な体験をしたように思われる。これはいわば本来の記憶であって、君に出逢ったことさえも含む今までの半生は、なべて蝋燭の前の影絵に等しかったのでは?
 いくら待てども私の人生に春は訪れなかった。土砂降りの雨の中、傘も持たずに駆けてゆくことができるか。それこそが問題だった。これを可能にすることは、僕が本来の僕自身へと生まれ変わることを意味するのではなかろうか。
 見返りは求めない、何も期待しない。それでも僕は吉野へ向かわなければならない。吉野はどんな所なのだろう、頭の中に思い描いてみる。古の記憶香る、峻厳たる山々に囲まれた地。そこに何があるのかは、訪れなくては分からない。
 今沈み始めた豊かな天体は、次の新たな行動へと僕を焦らせる。これまでは黄昏を見るたびに、過ぎ去った時間の多さを思い、己の怠惰を悔やんできた。いつもと同じような苦い幕開けは、このどうしようもない人間の新たな始まりには似合っている。
 こうして僕は、君の行方を探し始めたのだ。

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