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羽目を外せなかった日々

昔、ルーズソックスが嫌いだった。腰履きのズボンが嫌いだった。

当時わたしが好きだったのはきちんとスーツを着たイギリスのロックグループ。何を歌ってもトラッドな空気があってかっこよかった。

そんなことを思い出したついでに、その後何年もそれを矯正しようとしていたことも思い出した。


緩いもの、羽目を外したものを避けていたのは、自信がないならだと気がついたのは大学生の頃だった。


自由は怖いですよ。自信のない者にとっては。自由のに放り出されて、自力で良い方向へ行ける気はしないし。私などダークサイドに追いやられて淘汰されるのがオチだろうと思っていた。

そんな当時にはナビとか保証の方が必要だったのでしょう。


わたしは学校を休む勇気すらなかった小心者であった。
(中高六年間、皆勤賞です。私。学校嫌いだったのに。今思えば逆に病的な気もする。)

もちろん軌道を外れて羽目外す勇気などなく、世間的に「良い」と言われる道を選んで進んできた。
失敗を恐れるあまり、厳格になりすぎて緩いものを排除していた。


その道が自分とは決定的に合わなくて詰んだ!と気がついたのが大学生の頃だった。



なぜ適正のある分野にいけなかったんだろう?
進路を決める時には散々悩んだはずだ。
そして固い道を選んだ。
(アドバイスをくれる良い大人も周りにいなかった)



わたしは結局好きな方を選ぶ勇気すらなかったのか。


ここで舵を切らないといけない。


適正のない場所でいくら頑張っても意味がない。自分がこっちだ!と思った方向に。

そしてある程度の負荷をかけないと手持ちの能力がいくらあっても開花しない。
緩く流されてる限り変わらないだろう。


さあ変わらなきゃ。
まずはどうしたらいいか。


無難を選ぶ癖を治そうと考えた。



まずは自由になって解放しよう!
手始めに、普段やらないことをやってみようと。


服。


その頃はジーパンにTシャツだった。それを思い切ってワンピースに変えてみた。服の中で体が泳ぐようなフワッとした。
でも落ち着かなくてすぐ戻った。


(階段とか登れなくて。下にズボンでも履けばいいんだろうけど当時はそんな人もいなかった。ミニスカートの友達に、なんでそれで大丈夫なのかと真剣に聞いたこともある。
彼女は不思議そうにしてから、慣れだよーと笑った)




私と同じタイプの友達と勇気を出してクラブなるものに出かけて片隅で震えていたのはそのころの話。
(女子二人だと話しかけられて恐ろしかったし2度と行かなかった)


無理だった。人は急には変われない。


いろいろ試したけど結局は自由になりきれなくて


自由ってなんだ?
無理してる感万歳で私には合わない。
そもそも何のためにこんなことしてるんだっけ?

何もこんなことをする必要ないな。

と考えて。

今のほどほどのところに落ち着いている。


お固い人間として人生の初期を生きてきてしまったものだから、もうそれは半分くらいは私の個性になっているんだと思う。
たとえ望んでいなくても。


それを完全になくすことも不可能だし、個性として受け入れたほうが自分らしいと気がつくのは、もう少し後になってから。


追記:   負荷をかけないと、と思っていることについては今も奮闘中。(断続的になりがちで喝が足りない)


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