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羽化すること
ぼくはずっと苦しんできた、
大切なことがわかるまで、
確かなものが見つかるまで、
迷子で、臆病で、貪欲で、そしてどこまでも幼かった。
子供の頃から音楽や本が好きで、
自分の親も絵を仕事にしていたし、
憧れというものよりは明確に自分もものを作ることが好きになった。
ギターを弾き始めたのは13歳の時、誕生月の11月からだった。
その当時不登校だったぼくは中学にも行かず、自宅の勉強部屋でただひたすらエレキギターを弾いていた。
その頃は家も裕福だったので、
初めてのギターはギブソンのレスポールだった。
右も左もわからず、初めて覚えた曲(ギター教室の課題曲)を弾いていると、幸福感で涙が流れた。
『ぼくはこれ(ギター)で自分のように(不登校などで)苦しむ人の力になりたい』
と強く願った。
それからの日々は来る日も来る日もギターを弾いていた。
楽しくて、幸せで、夢を見て、他には何も要らなかった。
1日に15時間ほど練習をすることもよくあった。
今思えば弦やピックや楽譜を買い与えてくれていた親には深く感謝しなければならない。
音楽が好きで、ギターや歌が好きで、10代、20代を過ごして、
20代からは絵を描くことも始めた。
典型的な創作好きの生活をして若い時代を過ごしてきた。
自分はきっと創作で食っていける、
そう思っていたし、それしか無いと信じたり、希望を抱いてきた、素敵なことではある。
でも26歳の頃に、このままではいけない、ここから先は恐ろしい世界、堕落の道だと気付いた。
どんなに好きでも、どんなに得意でも、望んで願っていても、いつか遊びの時間は終わる。
ひとの人生に限りがあるように、夢にも寿命があると知る。
Nirvanaのカートコバーンは27歳で他界した、ジミ・ヘンドリックスもジャニスジョップリンもだ。
ぼくは27歳になる頃、夢を捨てることにした。
でも、どんなに捨てても捨てても夢は生き物のようにぼくの後ろからついてきて、抱きついて涙を流し、噛みついてきた。
仕方がないからそいつと一緒に元の道に戻ったが、立ち入り禁止の道ばかりでどこにも行けなかった。
ぼくは道端やライブハウスで歌を歌いギターを弾いて、絵を描き溜めた。
もう惰性なのに、
終わっているのに、
次に進まないと生きていかれないのに、
夢を捨てられないし、夢にも捨ててもらえない。
いくつかの季節が過ぎて、ぼくはようやく現実に生きる準備ができた。
それまで1日に2箱は吸っていたタバコもやめた。
今まで自分を助けてきたもの、大事に育てていた心の奥のものそれから逃げることにした。
振り返っては行けない、
決して振り返っては行けない、
夢の顔を見たらぼくはまた元の場所に元の道に戻ってしまう。
ぼくは間に合った。
30歳の誕生日までには夢を捨てて、真っ当な人間になれた。
でも心の中にはドーナツの穴よりもずっと大きい空間が開いていた。
これはなんだ?俺は誰なんだ?どうして生きるんだ?幸せとはなんなのだ、
何もかもがわからなくなったぼくは休日になるとバスに乗って音楽を聴きながら本を読む、ということを習慣的にやるようになった。
そこで見つけた。
本当のことを見つけた。
ぼくの好きなことは創作でもギターでも歌でも絵を描くことでもなく、もっと単純だった。
本を読むこと、音楽を聴くこと、美味しい水(あるいはコーヒー)を飲むこと、そのくらいだったのだ。
その3つさえあれば幸せでいられる。
ねえそうだろう、形や方法は数多あれど、ぼくたちはみんな幸せになりたい。
それは同じだ。
今では自然にギターも歌も絵も描いてるが、おかしな幻想は抱かない。
ぼくは仲直りしたんだ、夢というのは持つものでも掲げるものでもなくて、太陽のように照らしてくれて暖めてくれるもの。
ぼくはおとなになった。
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