見出し画像

あとがき

「Imagination and over kill.」という僕の短編小説について少し書こうと思う。

この作品は僕が人生で初めて書き上げた小説だ。

内容は不穏な意味を持った数字が人の頭上に浮かんでいるのが見える青年の物語で、僕としては伝えたいことが三つあった。

一つは、他者が何を考えて何を思っているのかわからないということ。

もう一つは、自分のどんな言動が他者を傷つけたり嫌な思いにさせているのか、必ずしも自覚できているとは限らないということ。

そして三つ目は、他者を傷つけたり嫌な思いをさせた瞬間から自分も傷つけられたり嫌な思いにさせられる可能性があるということだ。

僕は24年の人生で他者を傷つけたことも、他者に傷つけられたこともある。

それ故、中には僕を殺したかった人や僕を殺したい人も居るかもしれない。

しかし、先述した様に他者を傷つけたことを必ずしも自覚できているとは限らない。

良好な関係を築けていると思っていた友人に突然背中を刺されるかもしれない。

僕らは「自分なら、、」と想像することでしか他者の気持ちに触れることはできない。

本当に酷く僕のことを傷つけた人には死んで欲しいと思うことが時々ある。

自分がそう思うのなら、誰かにそう思われていてもおかしくない。

僕は誰かの脳内で何度殺されたのだろうか。

僕は殺されずに生きていられるだろうか。

その答えを知る人は誰も居ない。

そして、これは誰にでも言えることだ。

「Imagination and over kill.」という小説は唐突に終わる。

単に僕が小説を書くのに不慣れという側面もあるが、意図したことでもある。

他人の心理描写があるのはフィクションの物語の中だけの話だ。

誰かに殺意を持っていても、それを易々と口にする人間の方が少ないだろう。

ワイドショーなどで、殺人犯を知る人物が穏やかで優しい人でそんなことする人に見えなかったと言うシーンは何よりの証明だと思う。

順序を追って危機が迫ることなんて、実はほとんどフィクションにしか無いのかもしれない。

僕の書いた拙い小説が誰かにとっての警鐘になれば幸いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?