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言葉よりも?(20191020)

 音楽。の方が共有するのに適している気がしてしまいます。どんなに遠い国のものでも音楽なら楽しむことができて。どこに住んでいても関係なく。こうして書いている日本語は、外国の人が見ても何が何やらさっぱり分かりません。少し無力さを感じます。言葉で表現することに。僕は英語でも簡単なあいさつでさえぱっと思い出せないレベルで(昔勉強したはずなんだけど)。。詩が好きだとは思うので、外国の詩を読んでみたいと思うことがあるんですけど、まず、読んでもどんな音なのかを想像することが難しく。かろうじて読めたとしても意味が分からず。調べて単語の意味は分かったとしても、住んでいる環境とか社会が分からないと深いところまでは楽しめず。と何重にも言語には壁が存在します。翻訳した文学とかでも少し違和感を覚えてしまうことがあって。例えば、外国の文学を日本語に翻訳したものを読むとき、「この小説は面白い」みたいな感想を持つことはできるんだけど、その言語のネイティブの人の方がより楽しめるんじゃないかと悔しさを感じることがあります。言語表現には国籍の制限があるように感じてしまいます。音楽で表現できる人いいなーと。土地も時代も飛び超えて伝えられる可能性がある。あと、絵とか。ぱっと見て感動を覚えることができます。国籍関係なく。

 意味。が邪魔をしている?んですかね。書いてあることがどういう意味なのかと、人は考えてしまうけれども。この人はどういう意味のことを言っているんだろうと。ここにはどういう意味のことが書いてあるんだろうと考えてしまいます。音楽とか絵画だったら意味を考えなくてもいい?ということでしょうか。全く考えないということはないにしても。。。

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