帰省をしない
今年の年末年始は実家に帰らない。
この大きいんだか小さいんだかよく分からない決断を下した。僕だけではないだろう。実家に高齢者がいる、コロナになったら村八分を受けるような田舎出身、両親が持病持ち。帰らない理由はたくさんで、帰る理由なんてのは意外とない。
失ったのは、
家族との久しぶりの時間
地元の友人との食事
過去の恋愛を思い出す機会
お年玉
新幹線から見る景色
禁煙の機会
代わりに得たのは、
煙草とコーヒーの写真をわざわざ撮る機会
乗るはずだった新幹線代
自分や家族のために行動しているという安心
文章をこねくり回す時間
喫煙の自由
そんなに悪くない、かもしれない。
僕は帰らないが、帰る人もいる。自分を守るために帰らない人もいれば、国のことを考えて移動しない人もいる。家族から会いたいと言われて仕方なく帰る人もいるが、特に何も考えず例年通り帰る人もいる。
所詮は結果論で、コロナになったならかった、誰かが死んだ死ななかったなんてのは後からしか分からない。
「あのとき帰っておけば会えたのに」なんてことも起こり得るが、そんなのは今言っても仕方ない。
結局僕らは、今最善だと思ったことをやるしかない。あとから嘆いても仕方ない。僕らは大きな自然に対してあまりに無力な上に、目に見えない小さなウイルスにやられてしまうくらい弱いのだから。
僕らの五臓六腑は僕らの意志とは関係なく僕らを生かしているのにも関わらず、僕らのいる世界は僕らの意志とは関係なく僕らを殺そうとしている。
僕らは、初めから頼んでもないのに与えられた生を、望んでもない死が奪いに来るのを待つだけの存在だったということを、今更になって思い出す。人生に名前をつけるなら「希望」ではないってのは認めざるを得ない。「理不尽」とか「無意味」なんてのがお似合いなようだ。
実家に帰らないってだけで、人生の意味にまで思考が伸びる自分をほめたいようなけなしたいような。
今度からは微糖を買おう、青は甘すぎた。
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